panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

1か月ぶりか、職場


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  ものを運ぶのと、提出物の期限があって、ほぼ一ヶ月ぶりにやってきた。

 ま、日差しは和らいだが、室内は熱中症注意くらいの表示が扇風機なら出てくるくらいの温度なので、上半身は裸に近い。しかし誰もいないようなビルなので、いいだろう。

 9月は例年海外に遠征ではなく、研修にでかける季節だが、今年はありがたいことにないので、非常に心に余裕がある。これから仕事のはじまる下旬はじめまで完全に自分の時間かと思うと、うれしさ百倍。

 朝のテレビでとうとう中国共産党国家香港支部長が白旗をあげ、抵抗側の代表者で自習で日本語を学んだ周(チュウだね)庭という学生がテレビに出ていた。まだ闘争はつづくようだが、どうだろうか。この辺で矛を収めないと、まずいことになるのではないかという感じがするが、二年前にこの時期大挙してでかけた香港の市井の人びとに、これほどの政治的エネルギーがあったことに驚く。不明も恥じるが、また行ってみるかと、珍しく思う。

 16世紀のドイツ農民戦争では戦闘では農民側が勝ち続けた。しかしそれを政治的に維持する能力も思想も弱かったため、旧来の政治支配層に負けてしまうのだが、農村的コミュニズムがその後突如かつ偶然出現する資本主義を打ち倒す可能性すらあったのに、つまり近代の様相がいまとは一変する可能性があったのに、いまから思うと、残念なことであった。経済のあり方もイスラム的なもっと互助的なものになることだってできたのに、、、。

 歴史的な教訓を思い出す職場にて。

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  黙示録的神話や千年王国主義的信念やユートピア思想はキリスト教の変形であり、近代の政治宗教を規定してきた。そもそも近代は宗教的な政治を闘ってきた。ということを非常に説得的に示し、そういう意味で近代は西洋のものの見方によって成り立っているということを主張する。というのも、そうした神話や信念や思想は、世界の中で、キリスト教以外にはなかったものだからである。

 ある意味わかっていたこととはいえ、こういう権威が裏付けてくれるのはありがたい。オックスフォードとLSEの教授だった研究者。