panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

西馬音内(にしもない)の盆踊----秋田県三大盆踊

http://www.akitafan.com/specials/pages/summer-nishimonai
  本格的な雨になった。今日は外出しなければならないのに、やはりレインマンなのだった。ちちちちちちちちちちちちち、ちりめんじゃこ。
  音頭についてウィキでながめる。どうも音頭取りという言葉があるように、ある種の民謡における主旋律というか独唱ないし独唱者を音頭といって、それがある種の民謡そのものをさす言葉に転じたようだが、我輩の知る一説によると明治以降とくにさかんになった楽曲形式ではないかという意見もあるはずで(東京音頭も炭坑節も)、ゆえに半近代的な形式なのではないかと思うのだが、こういうのは歌謡音頭というようだから、やはり前近代の農民の盆踊りの一つのスタイルだったのだろうか。
  ということで秋田シリーズ。西馬音内には、神様の案内でその記念館みたいなのを訪ねた。時期は終わっていて、でもそのシーズンには、大曲の花火のように、沿道の券を買って席を確保するらしい、ほどに人気のようである。
  ちなみにビデオでその音頭のひとつを聞いたが、最後は函館が出てくる。青森までいったその地の人が海峡のむこうにある函館を遠望して、あれがアメリカかというセリフがあるわけである。これには微笑んだ。哄笑したのではなく、心底から愉快な気持ちになった。
  でもこの歌詞なんか典型的に近代的な音頭であることを示している。音頭一つをとっても、この文書主義日本歴史の中ではまだはっきりしないことが多いかもしれない。
  盆踊りも音頭も、はっきりいって我輩の不得手な代表格だし、ゆえにいまのような近代的な商売をしているともいえるのだが、しかしなぜか、秋田の神様と同じように、琴線に触れるものがないわけではないということは否定しがたいのだった。なんといっても体の使い方が鮮やかである。
  ダラダラ踊るディスコが昔、つまり学生時代、流行っていて、いまは神様となったが、その神様も、そういえば、ダラダラ踊っていたはずだがなあ。原点回帰ということであろうか。