panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ミャンマーに農家はない


  家人3がたまたま帰って来た(そして帰って行った)ので、ここで少しミャンマー講座を。
  ここに掲げたのはウー・タントである。でもウィキだと、ウ・タントと銘記されている。一般にはウー・タントとして我々の世代にはなつかしい名前である。ウー・タントは60年代の大半、つまり我輩が小中の頃の国連事務総長だったのである。ベトナム戦争が華やかしき頃であり、国連の介入もよくニュースになっていた。
  ミャンマー人が事務総長となるほど、ミャンマーというのは当時期待される国だった(ただビルマ社会主義への転換期と重なっており、どんどん経済は悪化していく)。国連事務総長は弱小国から選ばれるわけだが、それにしてもそんじょそこらの弱小国ではダメなわけだ。
  ところでウーないしウは敬称である。つまり日本でいえば氏やさん、英語だとミスターである。だから名前はタントである。でもタンが姓、トが名前というわけではない。その反対でもない。なぜなら、ミャンマーには、姓がないからである。
  アウンサンスーチーもすべてが名前、ウ・ヌ元首相はヌが名前なのである。ヌが名前なら、ふふふ、どこに姓が?と気づくべきなのであるが、普通はウが姓だと思い込むわけであるからね。でもミャンマーには姓名の姓はない。タイももともとなかったのではなかったか。東南ああアジアに一般に姓名という発想はないのではないかと(はっきりしないが)思う。
  ここで今日の標題の意味がわかるだろう。家がないのに農家があるわけはない。イエという発想や伝統がないということである。勿論農民はいる。というか今だって人口の半分は農民だろう。あるいは耕地権はないが農地で働く農業労働者はいる。彼らは農村で働く零細労働者である。しかし農家はない。
  農家がないのは、たんにイエがないからだけではない。我々が知っているような代々農業を継ぐということがないというだけではない。根本的には、イエの実質を支える共同体としての「ムラ」がないからなのである。こういうと大半の人々は理解できないかもしれないが、前にも書いたように、成員が協議を行って事を決する仕組みをもった領域的区域としての自律的な小宇宙=ムラがあるのは、世界中で日本と西ヨーロッパだけなのである。・・・アラブにムラはない。アフリカにムラはない。中国にすらムラはない。いわんや東南ああアジアにムラがあるはずがない。東南ああアジアでは家族の形態すら「アノミー型家族」と規定されるほどなのである。
  日本の結集力の強さ、「一丸となろう」というスローガンの出所(でどころ)がここにある。日本のムラ(およびヨーロッパのムラ)こそが近代化の真の起源の一つであり(なぜなら最初の「近代国家」の経験はムラの運営にあったと思われるから)、そして村八分、いじめ、動員、「純正近代日本」という過動員社会をもたらす歴史的背景なのである。だからこそ、歯を食いしばってでも、簡単には、Do for othersとはいってはならないと思うわけである。
  日本には玉砕だの火の玉だの慮(おもんばか)るだの、ヨーロッパにすらない動員求心的な美辞麗句があふれている。・・・動員に関しては、孤独な美学的抵抗であろうがなかろうが、基本、求心ではなく休診中の札を普通は掲げておく。これが正しい大人のあり方だと思う。
  朝から失礼。今日もまた職場へ行きます。