panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

伝説の雑居時代、知らないうちにアマゾンプライムビデオに登場

     沈滞著しい日々を送っているが、一昨日くらいに、プライムビデオで雑居時代があがっていることに気づき、見ている土曜日。

    前にCSで全編26話やっていたのでかなりを録画したが、テレビでは見直すことがなかなかできない。改めてパソコン上で見ていると、いろいろ細部までスーと頭に入り、きわめて感動的である。それもあって、ブログを思い出した。

    そもそもブログにどうやってはいるかすら忘れていて、そうしたパスワード類を乱雑に記録したものを立ち上げて、なんとか入ることができた。うーむ。忘れはしないと思っているものほど、ついには忘れる。老化であろうか。過労であろうか。やはりどうかと思う。

    ともあれ、人によると、ホームドラマ史上のトップともいうべきこの雑居時代は、やはり「おひかえあそばせ」のリメイクで、大原麗子宮本信子のもともとは役だった。大変わりである。富士真奈美大坂志郎などはそのままである。

    山口いづみが主題歌を歌っていて、いまでも傑作である。大野雄二が作曲で、大野雄二は大作曲家という認知がいまではあるのではないかと思うが、もう少しさらに知られてほしい。シティポップ的な洒脱な音楽をテレビを通じて、あたかもそれがスタンダードな日本的現象のように喧伝した人物だが、実際の日本は彼に遠く及ばず、いぜん大野的なるものは一種の地平線だと思える。

    ちなみに前から気になっていたが、名前が貧弱なので、注意しなかったが、というのも我輩はただのテレビ視聴者にすぎないわけで、そこまで気が回らなかったからなのだが、松木ひろしというこの脚本家は「七人の孫」の脚本家でもあったようで、その後の作品をウィキでみると、まさにこの人に(テレビで世界に開かれた)我輩(たち)は、かなりの恩恵を負っていることに今更ながら気づかされた。

    近年の浪花節的なトレンディドラマ(形容矛盾じゃね、これって)の日本的堕落ぶりを、コロナでプライムビデオをよく見るようになった我輩は打ちのめされるように知ったのだが、それは当初のテレビドラマの水準を徹底的に裏切る形で、堕落が進行していたということを意味するものだということを確認しもした。

    ともあれ、1973年の26話とは、74年3月にむけて、73年後期に放映されたということであろうから、大学受験を控えてこのテレビドラマに心底打ち込んでいたような我輩はやはりバカだったんだろうなあ。受かったからよかったものの。ああ、しんど。

    Amazon.co.jp: 雑居時代を観る | Prime Video