panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

アンドレア・ツァーニ発見


  今夜は職場を七時に出る予定なのでその間ちょっと調べると、ほほほ、この作曲家を発見。前古典派。イタリア人。職歴が少し面白い。カルダーラという有名な作曲家(イタリア人だがウィーン宮廷)の庇護を失うと、故郷に帰ったとある。
  ヴィヴァ君に似ているところもあるのだが、千九百円かあ。若干考える。
  ツァーニを聴くと、やはり後期のバッハは宗教学校の先生だったという感を深くする。どうしてドイツ人はすべての音楽がバッハめざして集まる、小川(バッハ)は大河だというような誇大妄想史としての音楽史を考えたんだろう。まったく謎だ。主流は宗教音楽ではなく、宮廷やオペラ劇場の優雅で享楽的で人間的感情を最大限発揮するような方向にむかっていたのである。こっちが本流なのに、あんまりバッハが天才だったもんで、宗教音楽とかドイツ音楽とかに(意図的に)引きずられたということか(意図的なのは当然ドイツ中心主義的偏向である)。
  バッハがいなければ、モツ君からベト君への古典派なんていうのももっと相対化されただろう。ロッシーニが大きくクローズアップされたはずだ。でもロッシはイタリア人だから、やっぱり無視されるのだろうか。
  ドイツ人の考えた「音楽史」は、ソナタ形式はじめ、イタリアの業績をドイツの業績へと変換した詐術に近いものなのだと思う。ここにも一国史的アプローチの問題がある。