panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ほぼ完成の域に達する


  国内でたのんでいるもので数カ月かかって個々に計、2枚、週末、届いた。そのうちの一枚がこれ。ヴィヴァ君の新発見第2弾と銘打たれている。アマゾンでたのむと高い。こういうあまり売れないものは内容はやはりそれなりなので、できるだけ安いもの、安い時期をみつけて注文しているのだ。とうとうこの二枚が届いて、国内ではもうなくなった。後は海外の盤がちゃんと届くことを願うのみ。
  ショパンでも誰かの演奏の数分のものすら追うように、ヴィヴァ君を追ってきたが、ま、この辺でいいだろう。大半そろった。21世紀のヴィヴァルディは19世紀のバッハのように確実に最高峰の栄誉を得ることだろう。
  ドイツ国民称揚としての音楽史は誤った歴史だった。音楽史は声楽中心にもう一度再編される必要がある。器楽は後進ドイツのみじめったらしい羨望の切り札として無理やり音楽史の中心に置かれたにすぎない。声楽こそ中世からルネサンス、近代とヨーロッパ音楽の現実的な中心にあったと思わざるを得ない。
  明日からまた商売人として仕事である。うーん。週末が二日なのは足りない。とても足りない。