panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

比較的長い帰郷


  暑いときに北海道に行くのは骨休めになるが、厳冬のたとえ函館であろうと、東北より北にある北海道に帰るのは、気持ちにおいて若干暗いものがある。でも長年正月をこっちでやっているので、今年くらいは行かずばなるまい。とはいえ、ようやく切符をとった。
  ポキの仕事では時間は自由だ。だから後々まで決まらないともいえるが、どうにか飛行機で帰り飛行機で戻ることができそうになった。いざとなったら立ったまま新幹線で帰ればいいのだ。そういう時代なのだから。
  そもそも青函連絡船は3時間50分だったのである。もうちょっと乗れば、いまでは新幹線で東京から函館に着く。大半、嘔吐したのだが(津軽海峡の波は荒い)、たまに高校時代の知り合いとあった。高山とそこで会ったのが最後だが、生きているだろう。もう一人のことをふと思い出すが、名前が出てこない。・・・というわけでちょっとしばらくいない。といっても明日ではない。
  そういうはなしではなく、地上波以外のテレビでは、繰返しかつての超大作映画が放映される。毎回、録画してしまう。何度もどこかに録って保存してあるのに。今日は『ナバロンの要塞』の最初の部分をみて職場にきた。
  アラビアのロレンス、ベンハー、クレオパトラ、ライアンの娘、ルートヴィヒなんかは毎回とって、最初をみて消す。いかにも映画らしい映画の時代だった。1960年をはさんで10年間がシネマスコープだの70ミリ映画だのの、ポキにとっての全盛期で、いまでもいいつくりをしていると思う。映画はそこでいったん死に、70年前後からアメリカのニューシネマという色彩設計無視の浅い映像が主流になり、そして80年前後にはE.T.だのスターウォーズだのバック・トゥー・ザ・フューチャーなどスピルバーグ系のつまらん映画になっていくのである。
  同時代的にみていくことになったアメリカン・ニューシネマが嫌いで、映画館に通い始めると同時に、映画に見放されているのではないかと、当時から思っており、その後映画の「流れ」で気に入ったものはないのだから、結局、映画は同時代的にはお友達とはならなかったのである。
  かくして何度もかつての超大作をみている、しかし100歳にもなったのでさわりだけみているポキなのであった。