panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

歴史の書かれ方


  またドラマ・キャッスル第3シーズンの残りが帰って来た(入院先から)ので、昼間見てしまう。これでシーズン3は終わった。モンゴメリー署長が亡くなってしまった。っていまはシーズン5くらいの時代だから、古い話ですまんこって。
  写真の本の副題は戦後歌謡曲史というが、1995年の古い本である。全28章中、我輩がよく参照する演歌などの純歌謡曲と思われるものを扱っているのは一章のみである。第11章は「ふるさと歌謡と都会調歌謡」という。前章は「空前の浪曲ブーム」とあるので、この二つをあわせてもいわゆる我輩のいう歌謡曲は本全体の14分の1でしかなく、戦後の50年(1995年)でそれを機械的に割れば(それに何か意味があるというわけではないが)3年分ということになる。
  どうしたことだろう?思案橋ブルースなどの「ムード歌謡」などがどういう風に位置づけられているのかをみたいと思ったのだが、そういう項立てはない。そもそも大半が洋風の歌謡でしかない。マンボ、タンゴ(第7章)、ハワイアンとウェスタン(第8章)、シャンソン(第9章)、ロカビリー(第12章)、洋楽カバー曲(第13章)、カレッジフォークやエレキ(第14章)、、、となり、その後は和製ポップス、グループサウンズ関西フォーク、ニューミュージックなどほとんど外国の影響を受けたものか、外国産の音楽を変形したものである。
  変形といえば演歌自体が一種の西洋音楽だということもいえるから、強く変形を問題視しているわけではないが、それにしても、こういうラインアップをみていると、いかに直近の歴史であっても書かれることになると実感とはいかに違ったものになるかということを感じざるを得ない。
  あるいはこういう言い方もできるだろう。・・・この書き手は京大の理学部を出たインテリの編集者・評論家である。こういう大卒、先端的なものの紹介者であり啓蒙家たちは、テレビだってあまり見ないだろうし(テレビの作り手とは日々の交渉があったとしても)、泥臭い音楽、アイドルタレントみたいな歌手の歌などには興味がないのだろうと。だから、戦後歌謡は歴史はアメリ進駐軍とともに成立する日本的ポピュラー音楽として出発するから、その影響を先導したものの流行りすたりをフォローするのに関心がむいてしまうのかと。
  ここはもっと綿密に論じるべきところだが、ブログだからやめておく。いずれにしても大卒の好むような音楽には我輩は興味がないということが、ますます攻撃的色彩をもって自覚されるということは理解した。都会の大卒というのが一番自分の性分に合わないということがわかる。ますます。
  オペラを知ればわかるが、名曲は少ない。だからいつも「眠ってはならない」という荒川静香が金メダルとったときの曲なんかがかかるわけだ。ベッリーニのオペラ・ノルマの3枚組のなかで聴くべき曲はただの一曲である。あとは退屈の極みである。モツ君のだって、パパゲーノちゃらちゃかがそんなに名曲か。あとは押しして知るべしなのである。
  そういう意味では日本文化圏をほとんど出て行かないし(出そうとしないともいえるが)、そういうものだと思い込んでいるが、日本の歌謡曲は編曲の面白さを含めて名だたる名旋律がそろっている。オペラのぐだぐだした長さを考えれば、ますますもっと評価されるべきだと思うのだが、、、。・・・ということを考える土曜の夜。
  そういえば宇津井健の亡くなるのとほぼ同じ頃、高橋某というモツ君研究者(グローブ座を日本につくった)がなくなったことが夕刊の死亡欄にのっていた。同じ年だったのか。片一方は大きく取り上げられたが、高橋先生は専門の雑誌でいつか簡単に触れられることもあるのかというほどの扱いである。高橋先生はよく見かけたが、とくにバス待ちしていたのを目撃したのがなぜか印象的に思いだされる。意外とコセコセ動いていた。・・・高橋某先生はいってみれば横文字の文化人、インテリである。でも宇津井健氏はテレビの一貫したスターだった。だから扱いは宇津井健が大きくていいわけだ。でも何年かして何か歴史が書かれると、高橋先生はもう一介の俳優を通り越して大きな位置づけを受けるのかもしれない。でもやっぱり宇津井健こそが現実の歴史のなかではより大きな存在なんだよ。じゃね?日本の歌謡史の中で占める「普通の歌謡曲」の意義が軽んじられすぎていると思う。歴史も偽造されがちなのだ。
  ちなみにこの間、我輩はバッハのチェンバロ協奏曲を古楽器の演奏で聴いている。何千枚かあるうち、ニューーミュージックやフォークのCDは一枚もないもんで。ギターが我輩の一番嫌いな楽器であるのは吉田某などの軟弱フォークが死ぬほど嫌いだからなんだが、これが我輩の高校時代から一世風靡していまにいたるわけである。優しさの時代なんかとタイアップしているわけだが、学生街の喫茶店なんて曲は罰金ものではないかとすら、依然、執念深く思っているのである。執念深いなあ、改めて。・・・オイルショック後の低成長の時代でもあったわけだが、我輩の青春時代のそのめめしさには心底うんざりする。と一人怒ってどうする?殿、殿中ではないでござる。