panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

職場の時間は濃厚である


  まだ職場である。あと一時間しないと金曜週末の目黒通りも途中ちょっとだけ入る環八も保土ヶ谷バイパスも混んでいる。第3京浜だけは事故のない限り、いつもすいているのが思えば嬉しい。
  パイヤール(なつかしぐね?)の指揮するブランデンブルク、1−3番だけを聴き、MDで金子由加里(?)のシャンソンを聴くが、あいにく「ごきげんよう、さようなら」の金髪の彼も歌えば、加藤登紀子も100万本のバラを歌うというシャンソン特集の録音したものの順番なので、若干いわゆる一つのテンションが下がる。
  昨夜の深夜のNHKラジオでも加藤が出てきて、子供3人で一個の卵を分け合って卵かけごはんを食べた昔話を聞いていたので、もう結構だからと思う。我輩は加藤が苦手である。学卒者の歌手全般が苦手である。スター性がないので。松田聖子が慶応を出ていたり、山口百恵が青学を出ていたり、郷ひろみ西城秀樹が大卒で歌ってる姿を想像すると、何だか悲しくなる。大学はスターには不要である。
  吉田拓郎も広島修道大くらいの卒業生で、ギターでフォークを歌っていたところの全盛期、我輩の高校時代から、なぜか不愉快だった。吉田先生はすごい人気であって、キャンプファイヤーで田舎の高校生たちはお気取りで最先端っぽい自己陶酔にひたっていたが(当時は、そんなことまでは気づかず思わず、ただたんに身体的に拒否的だっただけであるが。なにせ大人しい高校生だったわけで。我輩は。ウーウー・ララララ・ラーラ♪と「北の国から」のテーマが聴こえてくるような高校生だったわけで。純よーーーーー♪)、大学と大衆的なテレビ媒体の関係についてもっと硬直した考えをもっていたともいえるが、なんでフォークつまり舶来民謡が舶来というだけで民謡なのに、かっこいいと思うのかと思っていたことは思っていたのである。
  というわけで当時から流行とも日本とも大衆化する世界全体ともまったく折り合いが悪かったのである。ひいてはこうなるわけか。フランス窓を少し開けて、外気が入る狭い職場で、ふと、そう考える。うーん。集中力が切れてる感じだなあ。