panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

みずいろの手紙


  しつこいようだが、みずいろの手紙のイントロ部分を日がな繰返し反芻したのだが、独白部分がとーても邪魔である。ただし編曲がよくて、急激に当時に帰るような気持ちになる。そして、よくみると、あべ静江は美人である。だからこの独白が一層嘘っぽくて、当時の有為の人々−−ま、我輩ね−−などの反発をかったのではあるまいか。コーヒーショップでというデビュー曲のほうが売れたようだから。曲としてはみずいろの手紙がよくはなかろうか。
  ということで今日は都会に出たのだが、始終頭はみずいろ風であり、ついでに来週函館に帰ってきっと「仕方なく」という風情でスナックで歌うことになるであろう曲が何であるかを、中学の同級生に帰郷の日程を知らせるついでに教えておいた。
  ということでもう一つ頭で鳴っているのは、昨日も云ったように、すっかり私は忘れていた岡崎友紀の「私は忘れない」である。みずいろの手紙もそうだが、歌詞はなぜか覚えている。私は忘れないも、私は、しつこいようだが、忘れていたのだが、一回聞くともう完全に覚えているわけである。・・・国立文系の社会の受験を地理で受けた、我輩の知る限り唯一の人間、冒険野郎である我輩としては、とにかく物覚えがよいのだけが取り柄だったのである。歌もあのころ一回聞けば忘れず、地理も覚える内容が少なかった(・・・ちなみにさきほどの同級生、驚くことに、私は忘れないを忘れていなかったようなのである。恐るべし函館の女。また、花街の母をオペラ調演歌で歌ってくれるのだろうか)。
  ということは、物覚えがいいのではなく、実は悪かったということか。地理を社会の科目にするという文部省の方針が、ふふふ、笑える。日本史は死に物狂いでやっても覚えきれないが、地理なんか覚えることを探すのが苦労なくらいだ。
  とにかく昔のことがいろいろ、ぐるぐる頭の中を駆けめぐっているのは、帰郷が近いからなのか。いずれにしても我輩は多彩な人間である。まさか私は忘れないだけを歌うのではない。北帰行だの夜霧のジョニーだの熱き心にだの六本木ララバイだのそっとお休みだの乙女のワルツだのハリマオの歌だの帰り舟だのの一環として、その曲を付け加えるというにすぎない。誤解なきよう。
  でも問題は、これらをスナックで、ビールも飲まずにずっと歌えるのかということなのである。あー、バカみたいじゃね?シラフで歌ってるのは?・・・やはりここもよーく考える必要がある。
  ちなみに云っておけば、我輩は大卒が歌手の歌は嫌いである。大卒はそのへんのサラリーマンになってればいいのだ。だからフォークもニューミュージックもロックも歌わない。歌まで君たちのような学卒者が侵略する必要なんて、まったぐ、なぐね?(とはいえ小林旭先生は日大出である。日大を大学だと考えればの話だが。でもジ・アルフィーに学士号を与えた大学もあるしー。それも大学だとすればの話だが。勿論アルフィーを我輩が歌うことはない。我輩が歌謡曲の次に歌うのはバッハだ。ただカラオケにバッハがあったためしがない。院卒だけのスナックがほしい。リケジョも当然排除だが。ふふふ、陶然?)。