panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

懐かしの桜荘も発見------河口湖ミューズ館磯江毅展


(磯江毅の絵の一枚。実物は繊毛一本まで忠実に描かれている)
  もう帰ってはきているのだが、ばたばたして。ともあれ週末、河口湖ミューズ館磯江毅展へ行く。途中、河口湖を知ってる人なら誰でも知っているはずの河口湖大橋行きの大通りがあって、これを左に折れて展覧会へ行くのだか、あれ?と思っていると、ほほー、思い出しました。道沿いにすっくとぼんやり建っている旅館、その名も桜荘。
  2000年だろうか。我輩は卒論合宿で、ここに2泊したのであった。ぐっと盛り上がる、例によって懐古調な気分。・・・2000年は前世紀である。20世紀最後の冬をここで数日過ごしたというそれだけで懐かしい。そして予約したのは某U氏。コメントのTomoSis女史はその頃南国スペインにいたので知らないだろうが、他のすべての同学年の学生はどうして桜荘などという古典的な名前の旅荘にしたのか、おそらく内心では不信に思っていたのである。桜坂が流行っていたせいか。なぜ桜荘という名に引かれたのか、我輩もずっと疑問に思っていたあの桜荘である。まだ、健在であった。この不況下、多くの旅荘が倒れていくなかにあって、見事というしかない。
  そして、今回泊まった宿は富士山を湖をはさんで一望する最上階の部屋。来し方を思い、よくあそこで雑魚寝して合宿したなあと改めて自画自賛するのであった。バンコクでもバリでも3人部屋に耐えられる我輩はこうして作られていったのであるね。というか、3人部屋じゃないと寂しいくらいの倒錯した心理の一端はここで(も)作られたはずだ。
  実は、その一年前の卒論発表会は日光のホテルで、2晩、フレンチのフルコースを食べながらやったのである。その意味ではヒルトンから桜荘まで、幅広い我輩の破天荒で深遠な性格はまさに20世紀の終わりあたりに、強制的に、生まれてきたということがわかる。ふふふ。ありがとう。和洋折衷、脱亜入欧、覆水盆に帰らず、ああいえばジョウユウ、君たちがいて僕がいた♪♪。引き裂かれる自我?
  ともあれ、いまでは卒論合宿なんて口が裂けても出てこない案だ(表現が変?)。まじめにおかしくやってたなあ。ふふふ。今回、豪華な屋上露天風呂からみた絶景富士山と圧倒的ブルームーンのアップは、いま職場で、デジカメを忘れたので、帰宅してからということになろう。