panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

春曇り、満開の桜


  結局、二日つづけては快適に起きられず、じわじわと皆川達夫のNHKラジオで、ベト君のピアノソナタを頭の遠くに聴きながら寝ていた。でもベト君ピアソナには何ら詩的な要素がない。鋼鉄の音楽、役人の調べといった風情。誰が弾いてもベトピアソナは同じではないか。誰でもいいわけだ、演奏家は。完璧なのか、それともたんに面白みがないのか。・・・やるせないほどベト君のピアノは嫌いだと感じる。
  史上二番目の速さで開花した桜。満開の桜も今日の寒さだと(昨日は抜群に暑かった)、室内から眺めるのがせいぜいである。写真は仕事部屋から下のを撮った。市の記念樹となっているもの。
  昨夜、とうとう焼鳥を食したが、まあまあだった。しかしクレンペラー指揮のブルックナー8番を聴きながら眠りについたのがよくなかった。8番は名作なのか。クレンペラーでも退屈さ一杯だった。タイ靴ではない。それほどひどくはない。ふふふ。
  でも退屈である。実演では8番を聴いたことはない。7番4番しかほんとは聴きやすくないのでは?マーラー、要はマー君だってごちゃごちゃしてるし、若輩我輩には19世紀末〜20世紀クラシック音楽のあり方がよく分からない。
  ともあれ竹下節子バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)と古い本だがあるブログで紹介されたので玉城哲他『風土』(平凡社)を交互に読みながら、日陰ゆく春の一日を、少しだけ惜しむ夕暮れである。聴いているのはやはりバロック
  ヘントのルイエとロンドンのルイエ(名前はミドルネームまで一緒なので地名で区別する)、そしてジャック・ルイエというルイエ一家のリコーダーソナタ。ルイエは大体集めた。というかごっちゃになっているのでルイエ一家を。肌寒い春にはやはり笛ではないでしょうか。ふえー。
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  竹下はフランス在住のギター奏者であるが(東大出の大変な知識人でもあるが)、この本で古典派以降の時代のフランス音楽の特殊性を理解する糸口を得た感じだ。次の本だけでは何を云っているか、よくわからなかった。