panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

説の無限な多様性


  職場にきた。理由は一人になって本を書くためである。家にいても一人だが、文献的制約がある。というか分散しておいてあるため結構不明本が出る。そういうこときはどうするかというと、、、、ふふふ。秘密である。というのも失礼なのであるが、書きたくないわけであるが、要は図書館へ行って借りる、である。ある本なのに借りるというこの馬鹿げた行為が連続すると、ようやく本格的な探索が始まる。そうなる前だと、思わずズルしてしまうわけである。
  ご承知のように自分を勤勉だと誤解していた長い100年の歳月を省みると、いやいや出てくる出てくる、勤勉でない証拠が。日本で勤勉でなく生きることが可能な商売の一つで、つくづくよかった。たあああ。
  小島毅という東大の中腰思想史、いや中国思想史?の先生の本を読んで、日本の歴史的分類の多様性を知る。結局昔のようにセイジ的な事件で前後を区切るという一種の通説が成り立たないということである。セイジは政治ね。気づいてよかった。アフリカを闊歩するのがセイジ。
  そのため、大河ドラマなどNHKは大半が政治史的ドラマになって、学界では誰も支持しない考えを広めることになっているということになる。今日読んだ本では坂本龍馬がやり玉にあがっている。これに比べると対立していた吉田東洋のほうが人材的に明治維新に影響を与えたし、たんなるテロリストであった龍馬よりはずっと現実的で豊穣な思考をしていたという。
  ちょっとだけ見た龍馬伝吉田東洋を知った我輩であるからして、大した感想はない。でも、、、見ておいてよかったあ。でもそのNHK的イメージが誤りの一歩というわけなのだから、単純な心持ちではついていけない。
  ともあれ19世紀はじめの寛政の改革が一つの社会変革期。儒教的なものが理念として定着する。20世紀はじめの日露戦争のころがもう一つの変革期。このころ明治以降の西洋教育を受けた人々が社会的指導層になりだす。だから明治維新からの福沢などもむしろ儒教精神をベースにして、ことの判断を行ったという風に、小島先生の議論では考える。西洋的な新しさも儒教的普遍主義の選択を通して選ばれるのである。
  中韓はこの点同じ儒教でも徹頭徹尾儒教的社会であったため、日本のような切り替えができなかったという。日本の生活基盤は仏教にあり、儒教はあくまで理念として頭のなかにあったにすぎなかった。だから逆に、この日本的儒教は、仏教を排斥するとともに、キリスト教の拒否をも招来した。キリスト教はちょっと頭の未開な人々のもの、宗教一般がそういうものだという認識を江戸時代の儒教はしていたようなのである。
  いずれにしも儒教一辺倒であった中韓は西洋化のインパクトを受とめられなかった。日本は本体は仏教であったため、儒教の普遍主義を基準に仏教(つまり旧来の日本)も中国(旧来の日本文化の規範)も簡単に捨てて、西洋文明へと邁進するという次第。
  うーん。この調子で1945本の敗戦よりも1960年代の高度成長が次の大きな社会的変革となるのであった。
  いろいろであるね。こういうのを全部取り込んでいくと、もう収拾がつかなくなる。頭が未開に退行していくというか。苦しいのである。どの説をとればいいのか。この点、読書の幅が狭いと楽なのである。やはり専門利己主義(ディシプリン・エゴイズム)に徹するべきか。でも我輩の専門ってのは、、、、?
  写真は我輩が苦しんだ長い階段を上からみたところ。池上。一人になり微量痩せたので、今日は快適である。