panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

し、と、いて

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  久しぶりにまた職場に行ったが、来ているのは連れ合いを失った連中ばかりで、行くところがないのだなあと思う。我輩はただ来週の帰省のため必要なものをとりに行っただけである。車で行って帰るだけなので、精神は清新ではない。今日の私はこんな顔である。

  さて、しといて、であるが、し、というのは、スポーツ選手がインタビューに答えて、延々と、し、で文章をつなげていく話し方が気に障るということである。なになにしましたし、さらにまた、なになにしますし、さらには、、、、。文章は切らないといけない。ということを知らないのか。しかも、し、でつないだくせに、次の発言が出てこないことがままある。笑ってしまいそうになる。誰って私であるが。そうですね、という、聞かれて最初に発する慣用句にも不快感を覚える。しかしいまやみんなこんな風な云い方から質問に答えているなあ。く〇!

  さて、いて、は比較的知性のある連中の言葉遣いで、と思っていて、と使う。これを最高学府を出たような、本来言葉にデリケートでなければならない仕事の連中が使う。我輩が思うに、これは、と思っておりまして、とか、と考えております、という風にいうべきではないか。思っていて、なんて表現はどこの日本語だろうか。これも非常に気に障るが、気づくと、いい年をした高学歴連中が頻繁に使っている。気に障るし、はっきりいって腹が立っているのだが、いちいち注意しても、多勢に無勢である、治るわけがない。

  ということで体を使う連中にも頭を使っていると称する連中にも、我輩は、ここ何年も怒りの鉄拳的な焔をうちに燃やしているわけなのである。 実は。