panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

東南アジアは意志に反して回帰する


  東アジアの連中とは、こちらが引けば押してくるし、押せば押し返されるという関係にある人々である。欧米人は違うかというと、それも違う。大日本印刷社長を20年勤めた北島織衛(おりえ)が城山三郎編『男の生き方40選(下)』(文春)のなかで、「東洋的互譲の精神」が通じないことを極東軍事裁判で思い知ったと述べている。ここでは、東洋的でなく日本的としなくてはならない互譲の精神が、戦後これほどまで高い水準・社会の各所で成立した国というのは歴史の例外なのだろうことに思いやれば十分である。しかしここには大きな問題がある。
  この互譲はおそらく平等を維持するために個人の自由を相当抑圧しているからである。これが人間の本性からいって無理があることはいうまでもない。日々の生活でいたるところ鬱陶しいと思わない日本人がいたら会いたいと思う。我輩はいうまでもなくこの例外だが、我輩が我輩に会うわけにはいかない。ただ鏡をみるだけである。やあ、こんにちは。
  文脈がずれるか、とぎれたが、そういうことではなく、平等の只中に突然約束もなく自由への欲求が頭をもたげるというのが人間なのである。これは歴史的にはサルから分化して何百万年間、バンド(群れ)生活を送ってきた狩猟採集時代(遊動バンド)の生き方こそが「本能」としてのヒトの生き方だからである。そこでは遊動的=自由であることによってヒトは平等だった。しかし「定住バンド」では、社会生活のなかに「互酬制の原理」が生まれてくる。そこでは自由を抑圧することによって平等が成立している。しかし、自由に制限がかかることに我慢ならないのがヒトというものなのである。いつかそれは爆発する。
  ところがこの互酬制の原理は定住の欠点である備蓄と差別の可能性をあらかじめ否定する原理として要請されるのであって、富(階級)と力(国家)の成立(これらを柄谷はフロイト的な「原父」だという)を事前に回避するものとして生まれた。だから定住的部族社会は巧妙に階級と国家を生まないようにして、平等を維持する仕組みの社会であった。国家はご承知のように、部族社会では存在しない。でも、いまさっき触れたように、それは自由が(遊動バンドにくらべると)抑圧されているわけで、なにがしかの突発的な自由への欲求の発生を止めることはできないのである。
  かくして肌寒く、とくに北にあるアジアである日本にしばらくいると、突然、東南アジアがよみがえる。それは知る限りもっとも遊動バンド的な社会に近いように思うからか。もう十分、もうたくさん、もうくたくただからとか思いながらも、意志に反して甦(よみがえ)る東南アジア。それがホイホイ狩猟採集していたサルみたいなヒトの段階から続く自由への欲求に起因するなら、さすがの鬱陶しさゼロの我輩にすら、押しとどめることは不可能である。・・・とか理念的には思う温帯低気圧接近の関東である。