panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

楽園と気晴らし

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(イタリアの古都で検索)

  人生の楽園という番組があったが今でもあるのだろうか。そのキャッチフレーズは「人生には楽園が必要」だというものだが、楽園だけでなく、気晴らしも必要であるはずだ。つまり、楽園にいたとしても気晴らしが必要なのだ。パスタイムなしに人の人生は送れない。蚊が飛んでいてはものを考えられないというパスカルの真実くらい、これは真実だ。

  さて昨日、自粛という地獄だか自国だか楽園だか楽天だかわからない日々に気晴らしを導き入れようと、ブックオフに行った。いうまでもなく、目的はない。気晴らしである。

  普段足を踏み入れない新書コーナーに行ってみた。新書が200円というのは高いと思っているからである。でも値崩れしていて、一冊100円になっていた。そこで9冊買って、10円お釣りをもらって帰ってきた。

  そのときテーマで探そうと思い、普段は絶対買わない著者であっても目についたテーマに合うものは買うということにして選んだ。

  残間里江子『閉じる幸せ』、下重暁子『極上の孤独』、森博嗣『孤独の価値』、佐伯啓思『反・幸福論』、加賀乙彦『不幸な国の幸福論』その他その他。

  要するに、幸福と孤独をテーマにそこにあったものを買ってきたわけである。残間女史なんてそうでもなければ一生読まないだろう。下重もきっとそうだ。いずれにしてもこんなに孤独本と幸福本があるとは。しかも二つは下重や森が典型だが、つながっていると理解されている。

  ということで、この暑さのなか、どれも少しずつ、目を通しているのであった。孤独だからであろうか。幸せだからであろうか。それともやっぱり単なる気晴らしだからであろうか。しかし全般的にひっくるめて云えば、今現在が楽園だからかもしれない。