panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

この人だったかもしれない


シネマ紀行「砂のの」 撮影ロケ地を旅探訪

 京都の最後の日、雨の中、ポキはその日は一人で歩いていた。傘をさし、もっていった長靴で、靴下なしで。

 嵐電沿線の寺を歩いているときであった。等持院に入ろうとすると、入り口でテントが張ってあって、人だかりがあって、ポキとしては中に入れるのかと聞かずばとなるまいと思った。結局、入れるというのだが、歩きながら、それがマキノ省三没後90年の法要であることを知った。

 マキノは日本映画草創期の有名な監督である。だから、集まっている人の中に知っている人が、つまり顔は知っている人がいるかと思ってみても、誰も知らなかった。思えば、親戚筋の有名俳優たちは大半死んでいるわけで。朝丘雪路南田洋子も亡くなった。津川雅彦もその兄も鬼籍に入っている。

 だから誰も知ってる顔がないわけである。でも一人だけ泣いている女の人がいて、印象に残った。京都府や市の公人たちもきていて、次々用事を済ませて帰っていくのがやるせないものがあったなか、その目鼻立ちのはっきりした、しかし有名女優ではない、普通の人でもないような女の人の顔は覚えた。

 さっきヘンデルとレオのオペラ・リナルドYouTubeをみていて、だんだん派生していったさきにこの砂の器のがあり、映画の舞台を訪ねるという番組で、亀高駅も実際は別の駅を使っているとか、今度、いつか出雲に行くときには参考にしようとみていたら、案内人がその泣いていた人にそっくりだなあと思っていると、マキノ佐代子という名前が出てきた。おー、マキノ。やはりあのとき泣いていた人なのではないか。

 一般人のごく普通の顔だと思う。ゆえに女優としてもそうは大成しなかった人のようだが、この偶然を、しかも最近は全然人の顔を覚えきれない(昔は記憶の鬼だったのだが)ポキにとっては大きなこの経験を記しておきたいと思った次第。

 なおこのYouTubeは非常に参考になる。ご覧ください。

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 等持院の庭。

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