panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

コートールドを見ていては死んでいた

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 久しぶりにぽっと時間が空いたので、上野まで行くかと考えた。日曜日。別の予定がなくなったので、急遽。いま上野にはコートールド美術館展のほか、ゴッホハプスブルク家展が来て、3つ巴の様相を呈しており、できれば一日で回りたいところだ。

 しかしきわめて衰えたポキは、昼飯を、下町三ノ輪の天ぷら(吉原大門のところに有名店があるのは有名だと思う)を食べてから、上野に戻って見たらいいさと愚考した。

 これが北海道生まれのいい加減なところで、道民の3人に1人は大泉洋類似品だということは知っているかと思うが、もう1人も適当さにおいて大泉洋とどっこいどっこいな、言ってみれば小泉洋的なるものであることもご承知かと思う。残る3人に1人がポキのような、大泉や小泉に悩まされる人間である。

 と思ってきたわけだが、そういう最後の1人であるポキも大泉的いい加減さでは引けをとらないことを改めて味わった。結局、その狭い老舗の天丼を食べたら、急激に疲労が襲ってきて、そのまま上野に戻って帰ってきたのである。

 なんという日曜日であろうか。本来の目的は別のところにあったのに、それが中止され、第二次的目的のための腹ごしらえ=手段のつもりのただの昼食が、結局、第3次目的となって一日が終わってしまった。

 人気店だということを忘れて、1時間以上も外で待つというのがつらかったのか。そうでもない。食べるのがつらかったのか。そうでもない。ただその他全部が集合して、コートールド展の回避ということになったのである。あれで、コートールドを見ていては、死んでたな。帰りの電車では爆睡だったし。

 今度のコートールドには、セザンヌの、酒場の女が客に対面する形で正面をむき、その斜め横にある鏡で彼女の後ろ姿が映っている有名な絵が来ている。これをポキは中学時代から知っており、絵の先生と角度とか長すぎる腕などの比率を計算していたのである。だからもう何十年も知っている絵なのである。これがコートールドにあることはしかし知らなかった。ロンドン大学に留学していたのに。行けば、見れたんだなあ。忘れてた。

 ともあれ、再び上野に行ける日は来るのだろうか。そしてセザンヌのこの有名な絵に出会えるのだろうか。ま、熱烈に会いたいというわけではないのだが。結局、もう自分のなかにこの絵自体は血となり知となって存在しているわけで。

 なおこの上の本はいつか買うことにしよう。