panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

二日目始まる。そして始まらない。


二日目にして昼から活動となった。疲れているらしい。ポキは当然疲れているのだが、こっちの12時はそっちの1時だ。ずいぶん余裕があるが、3時過ぎにラインが入るくらいだから、汝らは何時に寝てるのか。一人4時というのが、はやくて、おり、はやくもポキとしては清新な朝からの活動を断念する気持ちになる。ま、一人なら何とかなるが、一匹の何とかの背後には100匹の何とかというたとえもある。たとえ。たとえそうであってももののたとえと同じものなのか。たとえ。
ということで現地8時。起きて待つ。台風のきざしはあり、事実テレビでは多数の番組で(はっきりいって騒々しくて長くみていられない)台風に備える準備の仕方を流していた。しかし薄曇りの様子。いまのところ。
昨日は普通に会食にいって、フィリピン料理を食べた。アヤラモールに入っているものである。鳥の丸焼きや豚の豪勢な揚げものその他、ビールはサンミゲルという地元の有名なしかなく、これを飲んだが、一席6人のところで2600ペソ。つまり一人400とちょっと。これはせいぜい1000円である。ポキはサンミゲルライトとサンミゲールピルスナーの計3本であった。日本でなら2本飲んだところで1000円をこえ、悲しくおつまみなく去るところかもしれない。
アヤラモールは有名のようで各地にあり、セブのはジプニーのターミナル駅になっている。ジプニーの写真をうまく掲載したいが、改造車のようなバンのようなで、テレビではよく「こんなところに日本人!」みたいな番組で旅人がのって汗をかいているあれである。中学生から大人まで待っているのだが、総じておしゃれだ。それなりにきちんとした格好をしている。その乗車の大変さと苛烈さときちんと性がポキを激しく打つ。ポキは早速、200円の古着に着替えて外出していたからである。
さてアヤラはららぽーとであって、上までいくとかなり怖い。エレベーターがむきだしで、これは東南アジアではおなじみである。いろいろな店がはいっていて、両替もここがいいということで全員ここで替えた。ポキはキャッシング志向だったが、キャッシュポイントが人だかりだったので、隷属する人々に従ったのである。隷属するのはポキ。隷属しているのは12人という、通常の政治構造とは反するが、ま、負けたのである。
しかしこれを書いてもあと4時間近くある。紅茶は付属しているが、コーヒーがない。一周りしてくるか。

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してきた。アヤラに出る別のルートを発見し、フィリピンの足、ジプニーの次から次とやってくるのをみ、みるだけでなくそれをかいくぐって道をわたり、そしてあまつさえ、朝食までとってきた。とくに空腹なのではなく、冒険である。したがってアヤラのようなところではなく、そもそもアヤラは閉まっているわけで、アヤラの反対側にあたるホテルの裏にまわって食べてきた。127ペソ。水も買ったからだが、一人で食べると高くつくなあ。
しかし真の問題は犬だった。しばらく出てこないので(なぜかというと太いソーセージと目玉焼き、そして炊き込みご飯がワンプレートになったものなので時間がかかった)、ふと後ろをむくと、当然戸はなく、雑踏がすぐさま入り込むそんなざっぱくな店なのだが、そこに一匹の雌イヌがやってきており、ポキをじっとみているのである。
犬には気をつけろとあれほど云っておいたポキ。そのポキがいまや絶対絶命の危機を迎えたのである。犬はあわれっぽくポキをみつめ、そしていくつもお乳がたれさがっているところをみると、老犬である。いまや多くの人々は慌ただしく食事を終えていて、食事がやってくるのはポキだけなのだ。
そしてやってきたソーセージの皿とポキをじっとみる犬。まっこと狂犬病の瀬戸際である。しばし目があいじっと耐えた結果、東南アジアの犬らしくおとなしく地べたにへたりこむ犬。もし犬がそうしていなければ、こっちがへたり込むところだった。緊張で。そしてそのまま寝てしまうほど疲弊している犬。その疲弊ぶりは今日のポキの比ではない。
かくして私はどうしたか。やはり太いソーセージはそもそも気持ちが悪く、これはいいとばかり、食事を早々に終え、紙につつんで大半残ったソーセージを犬のそばに放り投げてやった。そこは臭覚動物、犬。すぐ気づいて、匂いをかぎ、紙をはぎとって食べんとする姿を一瞥しながら、ポキはある種の二重の解放感にひたされて、庶民の食堂を一人後にするのであった。大団円。一幕の終わりである。ただいま時刻9時半すぎ。