panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

小休止


  何枚か届いたうちの1枚。ハッセを歌うバレール・バルナ-サバドゥス。一緒にミネッシア(実はミネッチャと訳されているようだが)のハッセも届いたが、カンタータなので控え目な音曲で、それにくらべるとこのハッセは朗々と歌われてゴージャスである。
  気づくと何日か書かなかったが、少し忙しかったからだが、ここで息抜きしているとあっと言う間に退職を迎えて何もないことになるような気がしてもいて、できるだけ控えようかという気分もあるのだ。
  意外とガス抜きになっているということなのだが、こんなことでエネルギーを無駄にしても仕方ない。
  しかし今問題はキーボードが親指シフトなのだが、それをパソコンが読み込まないということが頻発していることで、キーボード自体が古いせいかもしれないが、買えば3万円だから嫌になる。2000円も出せばいいのが買える時代に3万円は激しく高い。激しく苦しい。
  ということで今日はハッセの日である。いい夫婦の日のようだが、ワッセワッセ、ハタ・ハッセ。

  読み上げた。来週アメリカの保護主義貿易を少し話す予定だからである。関連する本はたくさんあるが、これが一番いいように思う。というか理解できる範囲では。表門ではジェファーソン的な小さな政府でやってきたように見せかけて、実はアメリカはいまの中国と変わらない徹底したアメリカファーストなやり方をとって政府が経済を主導してきた。奥の間でいばっていたのはこのハミルトン・システムなのである。
  ハミルトンは大統領にはならなかったが、初代の財務長官で、彼なくしては今のアメリカはなく、他のイギリス白人入植地(オーストラリアなど)と同じワン・オブ・ゼムの国だったとろうというのがその趣旨。
  そしてとうとうアメリカは1980年代に行った経済の再設計ではじめて誤りをおかし、ハミルトン以来のプラグマティズムを捨てた。新自由主義というイデオロギーが政策判断を謝らせたのである。
  そういうこと。戦後アメリカの表門だけをせっせと勉強してきた経済学者が犯した罪は大きい。ここ20年以上の日本の停滞はこのアホな学者たちが文字通りに自由貿易主義をたたえてきたことに大きな責任がある、という従来のポキの意見を具体的に裏書きするものだと思っているわけである。