panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ヒリッピンという国管見

(少年はなぜか泣いている。大声で。それが印象的だった土曜の昼)
  今回は女子軍団があまりに綺麗目な格好をしているために、肝心のディープなところに踏み込むことができなかった。当初の狙いはスラムだったのだが、普通の庶民の市場をどうもスラムだと思い込んだようで、安全地帯なのに恐怖による烏合の衆と化した感もあった。
  しかし現今の温暖化を考えると、また服装だけでなく、足元をみると薄いサンダル履きだったり、高価そうな高床式住居状態のサンダル(つまり高下駄のような)であったり、これではどこかで足を切って細菌で化膿するかもしれないという危惧もあり、市場の奥深く踏み込むことは放棄した。ただ何度もいうようだが、そこは庶民の市場である。ダウンタウンの。すぐそばには大学が三つもあるし、我々有志3名がかけつけた二度目の警察もある。そういう安全地帯だったのだが。
  いずれにしてもヒリッピンという国は、ある程度東南アジアに行ったことのある人にはそうかもしれないが、中途半端な国にみえる。前回、マニラで、ポキは、こう思った。ヒリッピン------昔の軍隊経験のある老人たちはこう呼んでいた。フィルムもフイルムというし、要はフィが云えなかったものと思われる。そういう言語の発音体系なのだな日本語は-----はあまりに貧富の格差があって、それはフィリピン国家の責任だから援助しても始まらないと。援助したくない第一の国の1つだったのである。
  豊かさはある程度ある。それがスペイン以来の植民地体質で、格差が固定されていて所得分配が不平等で、再配分がまるで機能していない。それをただの援助によって向上させることはできないし、しても外からの金はどこに吸い込まれてしまうのか、その点すら曖昧だと。
  しかし今回セブは地方の中核都市で、勤勉にではなくてもよく働く姿をみられて、うれしかった。朝晩の通勤が日本とは違った意味で地獄である。ジプニーでの通勤通学は苦しかろう。単純な生存競争が、つまりバスに乗るということ自体が、人々をして活動的にしているように感じる。
  ところが他方では一定の中間階層はかなり高級な車にのり、事故を起こしても、こっちだけは死なないよう神経こまやかに努めていることは明らかである。ポキの愛車というかそれほど愛してもいないが、いまそこにあるキューブなんか、こっちの車にぶつかったら、「いちころ」だろう。せいぜいぶつけるのはバイクにしたいものである。と不謹慎に思うが、あくまで仮想の話だ。そもそもセブでは日産キューブをみることはなかった。もっとごっつい大型の日産車がずんずん走っていた。・・・上品なキューブのような車がヒリッピンを走る日はこないと思う。
  さて今回はあまり貧富の差を意識することはなかった。それがありがたかった。ただ、解放感はそれほどないし、何か独自なアジア的なところというのもそれほどないんだなあと思った次第。ま、ホテル周辺とモールの行ったり来たりで思ったことだが。
  インフラが整わないので、大渋滞だったり、逆にすいていて時間があまったりと、そういう点での損失は大きく、もしいまここにあるポキの体調不良がたんなる風邪だとすると、それはやはりビーチからの帰りの車が必要以上に時間を要し(つまりどのアジアでもあることであるが)、その結果冷房にあたったからであろう。正しいかはわからない。
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  以上帰国第一日目の感想。バランスをとるために、ずっとヴィヴァルディを聴きながら。21世紀東南アジアには、やはり18世紀のベニスをぶつけるしかあるまい。