panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

関税自主権の回復の歴史としての明治


  トランプばかりテレビでやっている。どうも昨日の風邪の気配があるので今日は自粛。自宅。静粛。・・・粛清ではない。字の順番をかえるとえらい目にあう。北朝鮮か。
  関税自主権を放棄したEU諸国の悲惨さは目を覆うばかりだが、TPPはどうして推進されなければならないのか。日本の官庁の能力不足からいって、これはかなり怪しい政策である。ヒラリーとだけあの時点で会って帰って来た安倍首相に進言したのは外務省だろう。完全に失策である。文科省労働省も、どの省も悲しいほど無能だ。電通を取り締まっている厚労省こそサービス残業の巣なのではないか。ミイラがミイラとりになるのではなく、ミイラがミイラを取り調べているにすぎない。ミイラにミライはない感じであるなあ。
  ということで職場の引退した長老が銀河ヒッチハイク・ガイドにとりつかれているので、文庫を探すが、見つからない。新潮ではなくて河出文庫がいい訳らしいので、古い本が新潮ということもあるから、あっさりあきらめて注文した。映画にもなっていて、一度みたと思う。というか、ならばBLで残っているはずだ。ならば見直すかと思うが、うちのその種のコレクションは膨大でもう鼻から探せないと思うので、当然すんなりあきらめた。いつかまたテレビにかかるだろう。
  ボルヘスもいまさらいいとか云う長老70歳。100歳の我輩からすればなんてことはないのだが、ますます読書に励むところは見上げたものである。