panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

この天気が不気味


  疲労で午前中もう一度寝直して、午後やってきた。寝ながらこの本を読む。
  家人1がもっていたので借りたのだが、面白すぎる。この著者はたまにいい本を出す、と思う。というかそれほど読んでいないのだが。
  ドーダの人とは、ドヤ顔のドヤと同じ意味で、他人を睥睨(へいげい)したいという欲求の強い人のことである。のみならず、そういうことが行動の原理になっている人のことである。ここでは小林秀雄が取り上げられている。まだ3分の1程度しか読まないわけだが、うーん、このような観点から、つまりドーダ観点から日本近代をとらえ直すということはなかなかの試みだと思う。
  我輩の場合このドーダの人々に囲まれて職業生活をしており、自分の中にもドーダはあるといえるのだが、政治家はこの典型で、政治家でもないのに組織において政治策動を率先する人々もそうした人物たちの代表である。これを従来、我輩は中〇的人間と呼んでおり、わかる人にはわかっているはずで、何度かこの表現を使ったが、小林秀雄とそれを支持した文学青年たちもまた中〇的人間筋だったのだなあと、思いがけず、ドーダの裾野の広さを思って憂鬱になる。
  最近もドーダ、ドーダと生きてきて、しまいに追ん出ていった人がいるが、これなど中というより大〇的人物ということになるだろうが、そうなると何を云っているかわからなくなる。
  中〇的人物の祖型にあたる人がなくなって15年たったが、いまや公然とドーダがあふれる社会になった。これではなあ。
  結局、近代日本においては、文学青年は小林の模倣だったし、政治学青年は丸山真男の模倣だった。この模倣を志した人間たちが次の文学や政治学をになったわけだが、それではうまくいくばずがない。発展性がないというだけでなく、どうしようもない人間が後継になったということすらいえるのではないか。・・・我輩はどっちにも興味はなかった。それでよく嫌味をいわれたっけ。
  しかし戦後のフランス文学全盛時代は小林のおかげでもあるらしく、我輩のボードレール愛好はまさに小林の間接的影響下にあるということができるから、完全には小林的世界から離れていたわけではないということになる。
  そもそも小林秀雄の文章が論理性を欠いているのは昔からわかっていたはずだが、入試問題に頻出していたわけで、唐木ジュンゾウだのその他だの、いまから思うと、我輩が国語が苦手だったのは理由があると思う午後2時。