panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

函館に被害なし


  台風が連続してやってきて、昨日など天気が猫の目のように変わり、自宅に干していた洗濯物が一つなくなっていた。・・・鳶(とんび)がクルリと輪をかいた。ほーいのほい。と、三橋美智也先生。函館的場中学出身。
  スーツケースを成田に発送し、職場にやってきた。スーツケースを業者が取りにくるまでの待ち時間が一番苦しい。居間にいないと玄関のベルが聞こえないから仕方なく居間にいるわけで。
  昨日ドーダ本を完読。暗鬱な気分になる。我輩の知的芸術的基盤(というのがもしあるとして)をなしてきた教養の体系や形態が1902年生れという日本の団塊第一世代の敷いたレールの上に築かれたものだということがあからさまになったからだ。鬱陶しいこと夥しい。
  意気消沈してしまう。小林秀雄は白金小学校に通っていたようで、当時父はミキモト真珠工場の長だった。後年はダイアモンド関係の会社を起こすのだが、ミキモトっていうのはいまの北里大学のあたりに工場をもっていたようである。だから白金〇〇町という山の手の裾野のほうに住んでいたわけであるね。
  ということで、日本の近代化は時代が浅いので、自分は完全に近代の渦中に生れたその産物だと思っていたのだが、その少し前にようやく近代は端緒についたばかりだということを改めて思い知らされるのであった。
  暑い。部屋にいても暑い。暑くて汗が出て、まるで幕下3枚目くらいの力士の気分である。
  ディドナートのオペラ。今日届く。選曲に難あり。1690年以降の生まれの作曲家から曲を選ぶべきだ。あわせて届いたバッハの息子、エマヌエル・バッハ撰集。ようやくこの疾風怒濤様式の楽曲も理解できるようになった。うれしい。これも18世紀前半オペラ→ヴィヴァ→という順序を踏んでとうとうたどりついた地点なのである。