panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

友愛という知識人的生き方


  あまり女子サッカーばかり書いてると、飽きてくるだろう。我輩以外が。我輩はまったく飽きていない。明日も朝8時から試合である。大英帝国が待っている。
  さてとはいえ、先日ある報告で、知識人のなかの知識人である林達夫について、後年ほとんど書かなくなり、狭いながらも友愛の世界で生きたという話があった。で思うのは、蛭子先生である。
  前に紹介したように、彼は結構本がある。売れるからだろう。第二のブレーク(第一はいつか不明だが)でまた新書を出したようで、そのことに触れたところでも云ったかもしれないが、蛭子先生のモットーは友達をつくるよりは家族をつくれ、であった。これはなかなか含蓄がある。
  友愛という場合、普通は男の友情を思うだろう。家族とも恋愛とも違うものとして友愛が観念されるとしたら、それはある種の友情だからである。
  だから林先生は最後は出版やマスコミから一般読書人に対して広く何か働きかけをするよりは、狭いサークルで師弟関係を含めた友情の美しい花を咲かせたというイメージなんだろう。
  彼の生計は明治大学教授としてのそれだった。というか他の人々は知らなかったようだが、小林秀雄だって平野健だって文芸の大物は明大の先生だった人が多い。だからあの師弟関係の強い明治でそういう麗しい関係を保っていた、という風に我輩は受け取った。
  それはそれでよい。ただ、必ずしも友情というのは人間の孤独を癒すものではないという点も人生の真理なのだ。そもそも古くからの友情が中年後期か老人になって崩壊するケースは決して少なくない。そうでない場合であっても、何かあれば家族的行事をよりも友人との会合を優先する年寄りというのは多くはないだろう。だから意外と友情というのはもろいし、優先順位は高くないのではないか。
  そもそも長続きする友情というのは無二の親友との間よりも、ちょっと距離があって遠慮が少々あるくらいのほうなのだ。君子の交わりとあのクソ忌ま忌ましい昔の中国人たちが云っていたような友情が継続する。
  とすると、逆説的ながら、友情は、やはり西尾幹二が『人生について』で云っているように、人間の孤独を完全には癒すものではないのではないか。
  ここには二律背反がある。親友すぎると衝突して終わってしまうし、長続きするものは一定の距離を前提にするからである。
  おーー、長くなったなあ。蛭子先生をお忘れなく。蛭子先生は友達をつくるより、家族をつくったほうがよいという説である。今書いたようなことを踏まえると、ここにもまた一面の真理がある。
  ところが蛭子先生はこうもいうのである。家族といっても、子供とは年が離れているのでやはり話があわない。好きな音楽も本も違うと。では彼は何を家族といっているのか。明らかにそれは連れ合いのことである。男なら妻、女なら夫である。夫婦の関係が一番大切だということになるのである。
  果たしてこれは純粋に家族なのか。家族という場合には主に子供がいて、親がいるような家庭を想像する。しかし蛭子先生はあれほど仲のよかった前妻が亡くなると、手のひらを返したように、かなりはやく再婚した。いまでは再婚相手の連れ子の子供(つまり形式上は孫)も可愛いと思うと蛭子先生はかく語りきなのである。え?あの他人の子供なんか興味のない蛭子先生が。血のつながっていない子供に愛着を覚えるというのである。
  それほどここでは夫と妻という関係が重要だということを彼は云っていると考えるべきである。友愛より家族だというとき、蛭子先生の脳裏にあるのはこの夫婦の関係なのだ。
  これは厳密に家族なのか。むしろ男女の友情というべきなのではないのか。つまり単純に友愛と家族や男女関係とが別物というわけではないということをこれは示している。
  結局、男の最大の親友、友情は女性なのであり、女の最大の親友、友情も実は男性だということを意味するということなのではないのだろうか。
  おそらくたんに書けない口実から誇り高き林達夫先生は友愛に逃げたのではないかという(失礼な個人的)印象もあるが、友愛をたんに男同士の友情だと考えていなければ、後年、大英博物館ダヴィンチの絵の前で、妻にあんな辛辣な一言をいわれることもなかったであろう、というのが今日の結論である。
  なんて云われたかって?ふふふ。直接私に尋ねなさい。友愛も家族も大歓迎な我輩より。ふふふふふふ。林先生最後の傑作「精神史」論文にかかわる嘲笑なのだが。、、、というか我輩も死後、動員?ふふふ!と友愛関係にあるあらゆる人間に云われないよう努力したいものであるなあ。もほほ。