panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

図書の選定を(個人的に)行う


  職場にきた。5時から蒲田に用があるので、朝からきて図書選定を行う。しばらく夢中で、つまり無我というか没頭というか去私的時間を過ごすと、やはり爽快である。事務仕事ははっきりいって向いている。いい事務屋になれるというのは父(ただし実父)の唯一のほめ言葉だったのではないか。事務をとるような仕事になればよかったのだが、教養が許さなかったもので。でも教養ある事務屋というのも悪い選択ではなかったといまなら思う。
  教養というのはどういうことか。そういえば、人の日々の活動に知識が一体となって結びついているような状態のことだと、BSテレビで磯田道史氏が今週語っていたっけ。
  北海道内浦湾に伊達市というのがあって(室蘭のそば)、そこは伊達藩のある地域の人々(武士)が移住したところだが、北の大地の何もないところでしかも大きな人々の抵抗にあいながらも、見事な開拓を行い、辺境北海道の開拓の範を示したというときに、なぜがそれが可能であったのか。それを歴史家磯田氏は一言、彼らには教養があったからだという説明をするのであった。そして教養とは、、、と続く。
  我輩も辺境北の大地出身であるが、はっきりと行政依存体質が丸出しで現れたころに成長し、開拓魂だの教養だのということがまったく感じられないなかで成長した。でも先人にはそうでない人々がいたわけである。日本支配層としての武士は世界史的にも、まことに希有な存在なのだがね。
  八雲というのも道南にあって、そこには尾張徳川藩が藩主ともども移住した。だからそこでは漁師と農民では完全な別世界だということを昔聞いた。農民は元武士である。生まれが違うわけである。やはり生まれの違いというのが前近代には厳然としてあった。
  それがなくなって平等社会となってみると、うーん、いかんともしがたく愕然としてしまう。・・・ハロウィンの日に。
  私の彼はしばたはつみ先生最大の名曲だと思うが、歌詞があまりに昭和で誰もラジオで流せない。これは社会が規矩(きく)を喪失したからこそ可能になった楽曲だったのだろうか。うー−−−ん。