panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

「美人を育てる秋田米」JA秋田の宣伝文句が県南中にあふれる


  ようやく体調もやや回復して気づくと午後になっている。雨もあがって不愉快な晴天。夏はやはり曇天が望ましい。薄曇りの空の下だと何かしなくてもいいというような気分になって、爽快である。少なくとも追われるような気分は弱まる。
  さて家人たちに嘲られながら、高野秀行先生の対談本『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を寝際に大事に読んでいるのだが、対談なのでややかったるい。でもあるところで秋田で得た印象が一つ確信に変わった。
  秋田米、つまりあきたこまちのことであろうか、農協の高い広告塔にこの標語が張られている。これは東京でなら差別なのではないか。「君君、ちゃんとコメを食べなきゃだめだよ」というセリフを上司がはけば、これは健康を気づかうのではなく、あなたは美人ではないとやんわりひにくっていると受け取られる可能性があるからだ。確かに秋田美人のお国ではあるが、明らかにパン食で育ってきたと思われる人々もいた。・・・
  ということでさすがに米どころなのだが、我輩の友人にして神様もいうには、米以外に育てる気はないようだというので、確かに一面田んぼだらけなので、さすがに鈍い我輩も怪訝に思った。もっと別のものもつくるべきではないかと。
  なるほど夜のスナックでは、マメを茹でてサラリーマンたちがビールには欠かせないといっている料理?が出てくるから、大豆もつくっていることは確かだ。しかしほとんど車で移動しているときにはみなかった。一面米米米米。クラブを結成しているのか。秋田県人。
  しかし、これが一種の南米やフィリピン、マレーシア、インドネシアなどの現象と同じものだとは気づかなかった。秋田の神様は江戸時代の殿様と農民の関係から説明していたが、高野本では、はっきりそれがモノカルチャー(単一大規模耕作)だと喝破されている。つまり植民地的農業なのだ。江戸時代は米が税金である。だから米に特化して作物をつくる。藩の力は石高で示される。だから営々と米をつくり、延々と水田が広がる。
  江戸時代はよく飢饉が生じる。それはまさにモノカルチャーだからだ。ブラジルでサトウキビばかりつくるのと変わらない。そのため大航海時代のブラジルでは食料を輸入していたのである。それほど植民地のモノカルチャーは徹底していた。同じことが江戸期の秋田でも、そして他の地域でも存在したということである。
  農民が貧しくちょっとした寒冷で一村全滅するがごとき飢饉の発生という、我々が習ってきた日本史の知識はこの点については何も語っていなかった。米が税であるような場合、米以外の作物をつくるのははばかられるために、気候変動に対処できなかったのである。
  うーん。そうだったのか。だから室町時代の雑炊のほうが米は江戸時代の雑炊より大量に入っていたという指摘もなされている。つまり江戸時代の農民より室町の農民のほうが米を食べていた。室町時代には米以外の税の支払い方がもっとあったからだ。
  ということで、日本の農村が脆弱だったのは農村そのものの特徴でもないし、東南アジアなどより寒冷な地帯にあったということでもない。そうではなく、特定の作物(米)に特化した植民地経営農法に根本的な問題があったということだ。
  秋田で昼間は車の中で、夜はスナックで不思議に思ったことにこうして一つの解答が与えられる。疑問に思う感受性がまずあって、それを忘れず覚えていることが次に必要である。そして最後に本を読むことがいかに大切かということを知ったということだね。これを読んでいるよい子の諸君は。
  高野先生本はただのエンターテインメント本である。なのに疑問さえあれば、大きな知的快楽が得られるということで。おっほっほ。