panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

函館、田沢湖と角館、そして秋田県南一円-----ただし大曲の花火はなし。


乳頭温泉郷鶴の湯)
  10日も留守にしていたので東南アジアへ行ったくらいの疲労である。事実、これほどのアジアが東北に存在するとは思わなかった。
  田沢湖はもう秋で、赤とんぼがうるさいくらい飛んでいた。北海道も秋田も寒いくらいで、例年はもっと暑いらしい。東京との落差にだからたじろいだが、なんてことはない、今日は東京も秋めいている。
  下の写真は角館。武家屋敷通り。案内人があまりこの辺に興味がないので、そそくさと見学。でもこれ以外に角館で行くところはない。その結果、秋田人に神様と呼ばれている案内人と神社回りをしてきた。マタギの里にもいった。その奥はもう車では通れない。地の果てといった風情。でもいたるところに温泉があるので、憩う施設には困らない。
  おまけにこの神様には仏様と呼ばれる、というかお互いにいいあう友人がおり(ただし83歳)、角館の夜はにぎやかだった。スナックをはしごするなかに、フィリピン人従業員だけのところもあり、おそるべし、東南アジアは、ここ東北の由緒ある武士の都市にもやってきていたのである。のみならず、あにはからんや、おまけに、とうとう、ついには現地の人間と結婚もしている。
  しかし何といっても驚いたのは、言葉である。道南地方の方言と瓜二つなのだ。だから神様のほう(つまり我輩の友人)はまったく自由自在に当地の有力者たちと愉快な会話を行っているわけである。我輩はどの程度標準語で話すべきかにつねに悩んでおり(函館でも)、知識人的逡巡に苦しむのをはたにみて、神様は現地人のようにいきいきしている。しかし神様は1年半前に函館から移住した新参者にすぎないのである。
  というわけで、我輩も現地語に不自由はしないので、まことに麗しい交流を行ってきた。しかしはっきりいって、秋田の人の話し方はのろい。ゆったりしている。まったりしている。ダーウィンなら心配するような間延びした言葉遣いなのである。これには驚いた。やはり東京に来たら負けてしまうだろう。
  家人1の大学の同級生に角館出身の学生がいて一言も言葉を発するのを聞いたことがない。ということを我輩の話で思いだしたらしく、家人1はいうのだが、あまりの訛りに都会の大学(っていっても仙台なんだがなあ)では人と話すことが怖かったのではないかと我輩はいま思う。それほどに、これほどの伝統ある小都会の人々の言葉は、完全になまっているのであった。

  ひょうたんのなかにある小世界としての桃源郷は、一歩その外は恐ろしい現実世界だということであるだろう。
  ともあれ田沢湖の写真が一枚もない。峠の茶屋で同年齢の女主人と、ただだべっていたからである。ということで今回は写真があまりない。フィリピンスナックの写真も当然ない。写真がない以上、日本アジア旅紀行文は淡々と簡単に終わる予定である。
  ちなみにこの女主人は小一のときまでランプ生活だったということである。だからひょっこりひょうたん島は知っていても、チロリン村はしらないということでもある。ふふふ。NHKの当時の子供番組なのである。女主人は冬場は学校通うために町営アパートに移った、というのを聞いて、心の底から驚いた。辺境北海道の人間からみても東北のもつ僻地性には正直、驚嘆なのだった。

  これに比べれば衰えたといえども函館は都会である。のみならず、角館はかくだてと発するのが現地語で、秋田新幹線のできたときに函館との差別化のため、かくのだてと表記した。ためにそう呼ばれることになったという。現地の夜のスナック姫では皆かくだてと云っていた。ちなみにフィリピン人は基本的に日本標準語を話しており、明らかに言語的には地元日本人を文化的に陵駕していた。・・・いかんともしがたく、、、。彼女らがかくだてと云っていたか、かくのだてと云っていたかは、記憶がない。ただ、どうも我輩がカーペンターズの曲を無理やりデュエットさせられた事実は忘れたいのに忘れられない。英語の発音に留意したもんで。