panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

テロ、クーデター、革命、内乱、内戦


  今日は二組海外から届いたが、これはその一つ。演奏も歌もヘタだ。声に安定感がないと、演歌なんかとちがって、非常に聴きにくいのがヨーロッパの音楽で、この某アガタはちょっと悲しい。
  実はポワロ最後の事件であるカーテンを録画で見直してから自室で聞き出したのだが、アガサは英国人、アガタはドイツ人、そしてあなたは日本人。・・・てか。
  今日はテロとクーデターと革命と内戦についてその違いについて考えた。大して進展しなかった。
  ただ先日、日本史の磯田某先生がいっていたことがいたく感動的だった。大化の改新江戸幕府の成立、明治維新に共通するのは、まず体制側の急進的な集権化の努力があり(蘇我入鹿、秀吉、幕府)、これに対して反発するものたちがクーデターを起こして成功すると、一転して同じ集権化の努力を(ただし今度はゆっくりと)進めることだという。うーん。なんということだろうか。
  ここ数年でももっとも感動的な指摘だった。大化の改新はいまではクーデター(645年)後にゆっくり改革が進んだということで、もう教科書では大化の改新とはいわない。イッシの変とかいうらしい。同じことは秀吉と家康との関係にもいえ、同様に維新にもいえる。
  なぜ権力側が求心化を急進的にすすめるとかというと、外圧があるからである。唐の圧力、朝鮮を介した明との関係、ヨーロッパ勢力の開国などがそれだが、反対する側も政権をとれば同じことをただしゆっくりだがやる。そういう納得の手続きをへないと、大きな改革はできないという政治文化なのかもしれない。
  だから入鹿に対唐対策をやらせても、秀吉が継続しても、幕府が近代化してもいいのだ。とくに明治維新は明らかに江戸幕府開明的な近代化政策を遅らせ、時代錯誤の天皇的古代体制の復活(形だけでも)や征韓論などで不要な海外進出をしていくなど、明治政府でないほうがきっと近代化は穏健でスムーズにいったかもしれない。つまり薩摩長州勢力は近代化を邪魔したのである。
  ま、これは関ヒロノ先生のご指摘でもあるが。だから田舎侍の長所をなんとか探そうとした歴史家の努力はあまり意味がなかったかもしれない。江戸幕府に近代化を担当させれば、日本文化の断絶もなく、もっと落ち着いた世界ができたかもしれない。プロイセンでなく、オーストリーがドイツを統一すればそうだったような。
  成り上がりや辺境の田舎者に政治権力を与えるべきでない、という教訓を、北の辺境ないなかもんとして、今日は一日、かみしめた。