panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

文明と未開と野蛮


  今日は保険の見直しをする雑用を終えて、冷凍タコを大森に届けてから職場にやってきた。本来、今日はホテルオークラの本館の最後の日なので、コーヒーを飲みに行く予定だったのだ。地下鉄で一本10分ほどなのだが、天気も悪いし、一日一仕事が原則なのであるからして、午前中に仕事のキャパはこえてしまった。残念だが、時間がなかった。
  パグデンの『民族(ただし原文ではピープル)と帝国』の始まりはボルヘスの小説『戦士と囚われの女の物語』の紹介から始まるが、二つの「旅」の物語が提示される。ランゴバルド族(つまり野蛮なゲルマン民族)のある戦士がラヴェンナ(ローマ文明の最後の首都)に入城して帝国という文明の一員になろうと決意するのが一つ。もう一つの物語はアルゼンチンのパンパでインディオ(野蛮)に誘拐された白人女性(文明)が最後には自分は幸せだといって草原に戻ってしまうというもの。
  野蛮と未開と文明はある時期にヨーロッパで発明された区別で、文明の反対が野蛮。その中間が未開。江戸時代の日本がヨーロッパからすると未開になる。
  今日、もう日本には野蛮はないし未開もない。秋田の田沢湖にあるのはもうランプ生活の未開ではなく、文明である。
  だから我々はもう日本中どこにいっても快適に文明生活を送ることができる。ただ東京よりは不便か、寂しいかというくらいの違いが残っているにすぎない。
  写真のどこかの東南アジアとは違って、日本はどこも快適なのである。都と鄙の境は急激に消滅したのである。だからどこに行っても快適な生活ができる。
  それが自然にあふれたものであれば、やはりそっちをとるというのが我輩の選択であるわけで、首都圏脱出は時間の問題なのである。
  という結論なのか。うーん。書いていて驚いた。

  きれいな玉川ダム。文明と自然。