panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

タコの道具と敗戦後近代主義


  タコの道具とは、みのもんたのケンミンショーによると、蛸の内蔵のことである。そして、下北半島むつ市あたりで食されている鍋が、タコの道具汁というらしい。テレビでは愛知県の味噌おでんの次にやっていたわけだが、我輩が知っている道具は唯一で、それは肺らしかった。他にはコリコリしたものを食べたことはあるはずであるが、いずれにしても下北(要するに青森市の東側の、北の頂点が大間になる半島)独自の漁師料理のようである。
  実際、青森市出身の木野花は市内では食べたことがなかったといっている。
  では北海道ではどうか。実母(くどいようだが、養母はいない)は、たまにもらう大きなミズダコから、この肺の部分のゆでたのを子供に恵んでいたのである。子煩悩な実母がとくに恵む子供は、我輩とその弟(実弟である)をおいてほかにはない。
  かくして我輩はこの珍味を普通に食べていた。しかし北海道南部では道具汁にして他の内蔵ともども、こんなにポピュラーに食することはないと思う。だからテレビをみていた我輩は驚く仕儀となった。うーん。こんなに近いのに、海峡挟んで対岸の地帯であるのに、これほど人気のある鍋ものを知らなかったとは。
  我輩は東南アジアについてはやや知るようになったし、欧米の社会の仕組みや政治のあり方、そして中東については少々ながら最近知るようになった。それが仕事でもあり、また世界情勢を知ることは教養でもあると思っていた。しかし肝心要の育ったところのすぐそばのことについて知るところは少ない。
  そもそもあの肺の部分がタコの肺だとはまったく夢にも思わなかった。というかタコに内蔵があるという風に思ってもみなかった。
  もう年老いた母にオオミズダコをもってくる人もいない。茹でるのは相当の力業だからだ。だから今後我輩が、ほっかほっかのその肺や足の先を食べることもないだろう。そこにあったのにそれに名前があることにはまったく気づかず、何か遠い向こうの世界こそが知るべき価値のあるものだという幻想にとらわれつづけてきたのだった。
  テレビをみると、その場限りなのかもしれないが、日本の各地では広い居間に親戚を加えた大家族が寄り集まって、うまそうに郷土の誇りを食べている。こういう大家族だの饗宴だのを否定して、サルトルの「嘔吐」の主人公のような孤独な近代的個人がつくる個人主義的近代社会(同じことじゃね?近代的個人のつくる個人主義的近代社会って)を生きることが戦後というか、敗戦後日本社会の意地だった。それを学校優等生たちはこぞって、あたかも大越キャスターのように、必死に自分の課題として追求してきた。その結果、地方の優等生は東京に出て、いってみればミズダコの肺のことは忘れてしまっていた、という人生を送ってきた。
  昨日は昆布日本一の函館のことがトコロジョージの第一村人発見番組で紹介されていた。屈託のない、出てくる人々の笑い顔や笑える言葉遣いをみていると、なんだか、近代主義に騙されていたような不愉快な気分になる。何が近代社会だの個人だのだという気分。どこにそんな人間がいるのか。いるとしたら我輩のそばにいなければならないのだが、とんとみかけたことはない。
  ただそのようなことを云って何かしら自分の得にした人々がいたというだけではないか、ということだったのだろうか。・・・ずっと夢の中にいて、覚めるとそれが悪夢だったことに気づくような、存在論的不快さを覚えるのをいかんともしがたい。
  ・・・でもそばに他にいないとしても、自分だけはそれとは違うということを実践しなけれぱならないとも思う。例によって二律背反な夜なのである。