panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

日本最奥の田沢湖畔からもどる


  函館での納骨のあと、秋田に北海道新幹線でむかったときには、雨だった。雨男だから仕方あるまい。函館北斗駅までタクシーで行くと5千円をこえる。ななななな、なんという辺地に始発駅はたっているのであろうか。我輩がではなく、はじめて行った運転手が驚いていた。ということで実は市内から場所にもよるが四千円でいける均一料金で北斗駅にいくほうが珍しいらしいということがわかった。函館駅に行ってからライナーで北斗にいくのがどうも正解のようだ。
  ということはどうでもよくて、着いた秋田は奥羽山脈の西側にあるので、ほぼ灼熱だった。東京と温度は大差ない。でも風が吹く。ために友人の新現地人ほど我輩はへたばりはしない。そもそも東南アジアで鍛えたこの酷暑体質。ただ相当日焼けはした。新現地人の新しくなった車であるプリウスの乗り心地は快適だが、日焼けは進む。
  書くと結構いろいろ行ったので、そのブログを書くだけで今月も終ってしまうかもしれない。はしょっていえば、今回は前回の秋田旅行同様、また東北というか日本再発見の旅だった。江戸期に完成した日本人としての美意識や心意気を明らかに感じる旅だった。田沢湖の芸術村で東北六県の民謡を現代風にアレンジした舞台をみたり、翌日は西馬音内(にしもない)の盆踊りを一晩中鑑賞したりした。西馬音内のは日本三大盆踊りの一つである。踊り手さんたちは大変美しくみえるし、みえるような挙措をし装いをしている。女の人は誰もが若尾文子のようにみえる。そもそも顔が隠れるような笠や頭巾をしている。それがみごとに美しい。
  写真はポスターにもなった潟(かた)分校の正面。これは有名な分校らしく、田沢湖の奥深く入っていくと心配になるが、そこにある。日本人の心の原風景のような場所で、ほんとうに感動した。ポスターはこれ。


  ということであと数回書いて、我輩の東北の夏は終えたい。それにしても乳頭温泉もまたよかったので秋には家人1と一泊してこようかと思うのであった。
  そういえば秋田をとびだして、花巻をへ反対側に出て、岩手の遠野にも行ってきた。遠野物語の遠野である。遠野を知っている人はあの水田と山の神話的原風景がわかるだろうが、我々がいた田沢湖周辺から神代、角館にかけの地域は、それをさらに時代を遡行させたような日本的伝統の箱庭だと思ってくれればいい。遠野の南部曲屋もほんとうにすばらしかったが、岩手はより近代的な印象だった。・・・秋田ッておぐれでるんでねが?というところが、秋田的世界の圧倒的魅力だともいえよう。
  なお最奥という意味だが青森まで行くと、もっと開けているというのが新現地人の見解である。だから日本でいろんな意味で一番奥にあるのが秋田だというくらいのつもりで使った。