panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

秋はこないが、夏の盛りはすぎたのか



  実家に置きすっかり忘れていたフライブルクバロック・オーケストラの集成ものを持ち帰ったので、ひらすら聴く。昔はこの10枚については消極的な評価だったが、いったんヴィヴァ君をいわゆる一つのくぐってから聴くと、よくわかる。わかる、わからないというのは音楽については微妙な表現だが、拒否的では少なくとも今はない。
  昨日書いた分があっさりしているといわれたので、何とかポルチーニ茸(だけ)のパスタみたいに濃厚にしようと思うが、何だかそういう気にならない。
  写真は西馬音内(にしもない。くどいようだが。でも音曲では、にしもねとも発話していた)。この盆踊りはかなり技巧的な踊りで、進み方がかなりのろい。何分かして席にもどってもちょっと進んでいるだけのようで、あたかもワグナーの楽曲を思い出す。しかも振り付けというか音頭は二つだけなのだ。
  本番の4時間、したがってそれまでの練習の長い期間、彼らは二種類の音楽と踊りしか知らないというか、それだけに特化してやってきたのである。しかも昭和20年だけとりやめただけで何百年間かその二つだけだったということなのだろう、か。ワグナーならまだしも、当然にラヴェルを思い出す。ボレロ的陶酔ということなのだろうか。繰返し同じ旋律、笛はたくさんいるが、和音を吹くことはない。同じ旋律を一律に吹く。日本的村の民主主義といってもよい。ひたすら忘我にいたるまで、同じ旋律。伴奏の太鼓類も同じ。太鼓のリズムも振り付け同様かなり複雑で変拍子なのだが、ひらすらそれだ。
  顔をみせないという、踊り子さんたちへの天皇的扱いの仕組みは笠とこの異様な(二枚目の)頭巾(ずきん)だ。ここでは思わず、映画エレファントマンを思い出す。何だか全体が自分の過去の教養や知識の断片が乱れ飛ぶようなそんな大盆踊りなのであった。でもみごとに美しい。

  暑い秋田の空と雲は雄大である。いま地図をみると田沢湖から角館辺の平野に名前はない。下には横手盆地がある。西馬音内のある羽後町はそのなかにある。左には秋田平野がある。もしかして横手盆地の一部が角館なのか。真昼山地出羽山地にはさまれたこの一帯を車で深夜盆踊り後帰ってくるのに1時間半近くかかったが、こんもりした山はあるが、大体が平野だったから、横手盆地の北のはじという位置づけが角館にあるのかもしれない。
  ということは、ま、どうでもいいが、入道雲がいくつも空を占領しているのをみると、こういうのをみたさに東南アジアに行っていた我輩としては、そしてもうビール愛の醒めた我輩としては、東南アジアに行く必要を感じなくなった。しかも伝統文化は東南アジアの比ではない。ならどうして高い金を出して東南アジアに行く必要があるのか。
  といいながら考える。来月の香港研修費は、今回の帰省のための旅行運賃とほぼ等しいということを。つまり高い金とここでいっているものを出して、北国に行って帰って来たわけだ。しかもホテル代はいっさいかかっていないことを考えると、日本旅行は圧倒的に高価なのだ。うーん。
  でも整然として秩序だっており、臭いもない。人心は安定しスリはいない。中国人はたまにいるし、西馬音内の席の前のカップルはどうみてもタイ人だった。だから人心を惑わすものが完全に排除されたわけではないが(おっと、何という発言)、この日本の安全と快適さは何にも増して価値がある。そう思うことで、我輩の意識はますますアジアから遠のくのである。うーん。どうしたものか。

  田沢湖周遊道路を走る。