panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

あっという間の一日


  今日の一日は半分である(しつこいようだが、2日で1日の原則)。だからか過ぎるのがはやい。もう5時に夢中!木曜という黄金の番組も終わてしまたある夜。いや、あるよ。
  ようやく本格的な一日が開始しそうな夕暮れというか、お、完全に暗闇。もう秋も深いということか。あ、秋田にも行かないと。でも17年忌もあるし。うーん。脱線した。すべて脱線である。脱脱線してもたんなる脱線なのである。なんたる脱線!
  ノーベル賞受賞者についてちょっと触れたことが気になる。やはり否定的なことを書くと後から後遺症がくる。後遺症がくる?いやいや、後からボディブローがくる?うーん、とにかくいい気持ちはしないので、後悔しているのである。
  ただ本意はこうなのである。日本を批判するのはいい(中韓をみよ。あたかも憎悪一色である)。でも、じゃ、総体としての社会や生活という意味で日本を凌ぐところがあるのかということである。アメリカがいいのか、そんなに。そんなわけはない。キ〇ガイみたいなあなたには向いているだろう。でも大半の穏やかな人には向かないのはわかりきっている。
  個々の社会にはいろいろ問題がある。日本にもアメリカにもある。問題しかない中韓も社会ではある。それをこうもアサヒるように、まるで社会全体を呪詛(じゅそ)するかのように、公に声を大にして(しかも彼の声は顔つきからしてとてもラウドだろう)日本について言い募るというのが、申し訳ないが、未熟なのではないかということである。もっと知性的に考えましょうね(って失礼じゃね)。ノーベル賞受賞者に。
  しかし問題はさらに、もう一つ先にあるということなのだ。文科系の議論を知らない人に文句をつけても仕方ないわけで、一つ先の問題とは何かというと、総体的に世界的にも珍しく住みやすい(住みにくいというのは外国人でも珍しいのではないか。話言葉は簡単にマスターできそうにみえるし、書き言葉がむずかしい以外に、住みにくいようには思えない)この日本の暮らしが、じゃ、理想的かということである。
  おそらくこの人口規模でこの穏やかな生活を営める国は他にはない。気候にせよ食べ物にせよ人心にせよ。しかしこれしか人類の現実に達し得る理想的な社会の選択肢はないのかということなのである。これがまさに最高峰な社会だとすると、うーん、これは何だか人類というサルには根本的な齟齬の経験になるのではないか。
  アメリカは敗残者が見えない社会である。敗残者はアメリカン・ドリームという神話によって隠される。だから成功者のあなたがアメリカを享受できることは当然である。そういう成功者仕様になった社会だからである。しかし大半の人には住みにくいだろう。競争社会の住みにくさでは中国とどっこいどっこいではないか。家族的連帯がない(昔は3世代が一世帯に住むことさえプロテスタント倫理から禁止されていた社会なのは、先生、ご存じでしょうか)アメリカはより苛烈に孤独な社会かもしれない。中国より。こここここ、こわぐね?
  日本はここ何十年かで変わったし、住みよいシステムは世界一なのではないか。でも人間社会って、これまでなのか。人類がつくりうる社会は?他人を神のように扱う患者様病院や普通の対人関係(でもそうだ)はうんざりだが、合意をつくりあげるための会議やプロジェクトの数々で合意以前に、まともな人間なら疲労の極地に達してしまう(じゃね?)。
  繰返しになってしまうが、この世界一くらしやすいシステムを作り上げる過程が、実は、サルとしての人間の本性を損ない、否定するものである。こんなに会議や合意や他人様への配慮なんてものに、ヒトは囚われるべきではない。世界一のシステムでなくてもいいから、もっとデュルケーム的「市民宗教」(他人こそが神となる近代社会のこと)から自由になりたい。、、、、ものであるよなあ。というさま。
  写真は我輩の好きな香川漆器(象谷塗)。何枚かヤフオクすらしたのだが。