panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

漏れる知的空気圧から遠く離れて------人生日々是集中治療室!


  また脱線である。今日は電車で出勤したのでこれを読んできた。そろそろ図書館に返す。
  戦後の日本クラシック界を支えた人々の列伝である。大した本ではないが、写真入りで伝説の人物たちが数ページずつ説明されている。
  ま、結局、明治以降クラシックは代表的な洋行帰りの世界だった。だからほぼ全員がエリート家庭の出であるか、東京の出身である。高等師範付属学校(ツクコマとかツクフというやつ。いまの)に関係しているのが多いような気がするが、暁星の出身者もいる。混血も多い。巌本眞理とか渡邉暁雄とか。ということで、階級社会であった当時の日本社会を反映して苦学生とか貧乏学生とかであったような人は出てこない(浅田飴の子息が音楽の友社の社長だったりするわけである)。
  腹は立たないが、血の気は引く。結局そういう出自であるクラシックがこの超超大衆社会においては消える運命にあるのは仕方ないことである。それにしてもそうした先達の努力の結果として我輩のように、蛮地北海道において、細うで繁盛記でいきり立ちつつ、他方では質の悪い再生機ではあったがクラシックを聴くことができたということでもある。ラジオでもいろいろ啓蒙的なことをしてくれた。音楽も音楽評論も、ラジオの電波は日本の辺境まで何とか届けてくれたのだから、やはり個人的には感謝以外のなにものでもない。
  指揮者渡邉暁雄は最後は集中治療室のようなところに3週間いて亡くなった。その間「昼も夜も絶えずバッハを流しながら」(117頁)ということだった。はばかりながら我輩も、挽歌としてのクラシックを、辺境出身者の生い立ちながら、生涯、聴いて死んでいくことにしよう。今後は人生日々是集中治療室。・・・ただいまはアリシア・デ・ラローチャのモツ君ピアソナ。