panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

由紀さおりの中島みゆき論


  昨夜は早速スピーカーの位置に関する御指摘をいただきまして、感謝いたします。なるほど。長年、法則というか基礎を考えずにゲンバ主義だったことをまざまざと思った次第です。
  今朝も早くから家中の掃除を行う。明日家人1が現場復帰するのである。一カ月入院していたが、その間実に見事に家事は進行したということをいまさらながら見せつけるために、レンジ回りを含めて、ちょっと掃除を敢行したわけである。勿論徹底的にはやらない。こんな風にいつも清潔にしている、それは当然常識だということを見せつけるには、あまりに徹底してはダメなのだ。と書いたが、もう読まれているに違いない。ふふふ。油断も隙も、、、ってこっちが戦略的アホなだけか。
  明日の仕事のために地政学の本にざっと目を通す。なにせこの分野の本は古典が決まっているので(国家学と同じだ)、もうしっかり読む必要はない。
  12時から始まるTBSラジオ由紀さおりの番組があることは触れたことがあるが、今日は中島みゆきについて論じている。原稿を書くのは誰なのかわからないが、基本的な内容は由紀さおり自身の経験と印象、観察と考察からなっているので、語られる文章は他の人が書いていても、由紀さおり本人の率直な考えなのだろう。そうすると、かなり知識人的な中島みゆき論であると思う。
  どこがといわれると、説明は長くなるので省くが、ある美術家の姿勢によく似ていると思った。その美術家のようになることが我輩にとっての知識人の理想なのである。
  ただやはり由紀さおりも、中島みゆきのアホぶりに戸惑ったようである。詩の内容と中島本人の人柄のギャップについては驚いたと云っていた。昔我輩が初めて中島みゆきの声というか云うのをラジオで聞いたときは、ほんとに郷土の反・誉れとか感じたものだし(道産子である)。
  で今日の豆知識。両人は年齢差が三歳しかない。由紀さおりは昭和24年、中島みゆきは27年生まれである。うーん。そんな感じはしないけどなあ。中島みゆきがアホだからであろうか。という意味ではやはり郷土のアホ的連帯を感じるべきなのか?我輩は悲しい、、、ってわけでもないが。
  お、そうだ、シナそばやに行って昼飯を食べよう。