panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

土曜の休日はありがたい


  このところ朝は6時に目ざましが鳴る。我輩の決死の起床は家族のための命がけの担保なのである。あー、早起きはくくく苦しい。・・・だから今日のような休日はありがたい。
  ところがそこはそれ、悲しい性というか惰性で、6時前に起きてしまう。仕方ないので、クレンペラー指揮のバッハのマタイの続きを聴く。ずっと1枚目を繰返し聴いていたので、2枚目。2枚目も新鮮だ。そもそもよく聴くのは3枚目なので。かつては職場で半年以上この3枚目を繰返し聴いた。ラジカセのCDを替える事を半年以上しなかったわけで、だからギネスには、世界でもっともマタイの3枚目を聴いた人間として記録されているはずである。ま、少なくとも200回以上は。小保方か?ギネスよりもチンタオを愛する我輩であるが。
  我輩は20代のころはマタイの全曲をもっていなかった。お恐れながらマタイを20代で聴けるとは思えなかった。抜粋盤も後々までもっていなかった。つまりどこかで偶然聴く以外にマタイは聴かなかった。大事なものはとっておく主義で、煮込みうどんの卵と海老はいつも最後に残っていたわけである。ふふふ。貧乏くさ。
  クレンペラーのは、福音史家の朗誦部分を先送りしては聴けない。朗誦部分から急にアリアや合唱に接続する部分がもっとも感動的だからである。これはリヒターとは違う。リヒターはただの朗読部分を省いて聴いてもとくにどうということはない。対してクレンペラーはその連結が実に鮮やかで、驚くばかりである。
  以上。
  中野孝次は10年くらい前に亡くなったドイツ文学者で、エセー、ブリューゲルへの旅のころから知っているが(我輩は読書人である)、一般には『清貧の思想』で有名になったので、そういう説教屋的な人だと思っている人が多いだろう。でも晩年は我輩が理解した限りにおける仏教の精神を説き、実践しようとした人として我輩のなかでは、ある意味の先達である。あの険しい顔つきはどこかのノーベル理事長を思わせるが、国立大の先生だったわけではなく、國學院の先生だった。
  たしかに佐野実氏同様、名前に難があるが、『麦熟るる日に』という自伝でその険しさの理由や背景が説明されている、、、らしい。読んだことはない。自伝は彼の著作のそこかしこに書かれているからである。彼の全作品はいってみれば一つの自伝である。
  昨夜もたまたま『生き方の美学』(文春新書)があって、線を引いたところを見返していたのだが、そもそも彼の本は一カ所に収めておらず、マンションのどこかでみつかったらそこで立ち読みするということになっている。『幸福の原理』(大和書房)は一昨日確認した。一カ所にしておかないと、何が何だかわからなくなるが、うーん、著作で暮らした人なので、山のように書いた本があり、それが何十円かで売られている状態なので、簡単に増えるということでもあって、、、。
  中野孝次の一生はしかし他人事とは思えない。団塊世代の帰農的Uターンなども農業を捨てたことへの贖罪なのではないかと思う。どこまでいっても人はその出自を越えることができない。中野孝次の生涯はその親が職人、大工の出であるということによって規定されている。もうそういう時代ではないということもいえるが、果たしてそういえるのだろうか。身分的秩序のはっきりしていた時代に身分的上昇を果たすことが自分の身分を裏切ることでもあるという背理を生きることの苦悩は、もうないとはいえようが、なくなったことは必ずしもよいことばかりであるということでもない。人を高め深くするものは何なのかということをどうしても考えざるをえない。
  なお写真中の言葉は仏教=禅のエッセンスである。我輩も中野孝次先生と同じ結論である。