panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

怒濤の閑暇


  職場である。非番なのだが、責任者だし、やってきた。暑い。ヤフオクで買ったもっこり北欧製セーターで来たからか。1000円で落札したものだが、東京のコンクリートづくりの部屋ではちょっち役不足なのか。もっと寒風吹きすらぶ僻地でないといけないのか。
  タコの道具汁について朝、実母に電話で確認した。どうやら生粋の漁師たちは北海道でも食べていたのではないかということである。のみならず、家でつくったこともあるんじゃないかという。こっちにはまったく記憶はないが、あっちの記憶ももっと怪しい。神々の会話をして、毎朝の生死の確認も済んだので、電話を切った。
  でもこの前のおでんのように、子供のいない隙に、親が道具汁を堪能していたということも考えられる。この鍋ものは子供にはややグロテスクな感じもあるし、そもそもそういうものに神経質な、生まれながらの近代主義者、現・近代うんざり主義者の我輩だからである。うーん。そういえば、蟹のミソの部分も、幼少のみぎりには、我輩は食べられなかった。わざとらしく和服姿の実父(養父はいない)は蟹ミソを食べるのであった。
  さて午後3時もすぎ、今日の公的仕事は終わったので、怒濤の閑暇が生まれた。竹内まりや(まりあ?)のCD3枚組を勉強のため聴いた。
  竹内君は同時代人だが、まったく興味のない人だった。でもCMやドラマ主題歌に採用されていたから、どれも聞き覚えのある唄ばかりだ。夫某山下先生がアレンジしていて、実に現代的だ。まるでヴィヴァルディのような騒々しさで、いまでもこういうアレンジは都会的とされているだろうから、いいのだろうか。少し雑然としている。
  でも夫某山下も有名だし、恵まれた歌手人生だったように思える。そうなると、急に由紀さおりの不遇さということに思い至る。
  今日の主題は由紀さおりの不遇さである。とはいえ、もう疲れた。いつか。いずれにしても由紀さおりについて長いこと不遇だったと思うということをお伝えしておきたい。