panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ようやく東京に戻る、アンド島倉千代子先生亡くなる


(啄木の一握の砂の描写されているあたりから写す。焼きそばを食いに行ったのである。写したのは午後2時。夜の2時ではない)
  今日夜戻ってきた。そして島倉千代子先生の逝去を知る。帰宅して。
  北海道は、、、満洲だと思う。こんな寒風吹きすさむところで18年間、大学に入学するまで、ただ一度の高校修学旅行以外、ひたすらこの北の大地(なんという表現であろうか。もうやめてほしい)に生存していたかと思うと、当時知らぬこととはいいながら、うーん、悲しい気持ちになるのであった。
  理由は以下の通り。今日初雪が降った。降る降ると昨日からテレビで云っていたが、札幌と稚内で降った。そして稚内では戦後二番目に遅い降雪だった!というのである。11月8日。
  しかも昨夜は大変な風雨で、一軒家の悲しみというか、マンションでは全然気にならない強風がいやに気になる。庭の菊(いまは菊が咲いているのである、わが家では)は大丈夫か。屋根は飛ばないか。事実、北斗市という函館の隣では停電となっていた。
  たしかに昨日の日中は、テレビで、慌ててタイヤを変えてますというニュースがしきりだった。スタッドレスです。と韻を踏んでも仕方ないが、我輩は、一人、笑っていたのである。まさか雪は降るまいと。11月だぜと。そしてたしかに函館は降らず(函館が降ったわけではなく、函館では雪が降らずの意味だが、くどいかしら?)、今日はいい天気だった。しかし「奥地」札幌は降ったわけである。
  ともあれ、夜8時に寝床に入り(毎夜毎夜)ラジオをつけると、韓国中国の電波が混線して異常に聴きづらい。そういえは、高校時代もそうだった。東京は実にすっきりしているので、大半の人はわからないと思うが、北海道ではHNKの音がいくつも入ってくるし、ちょっとレバーというのか、ラジオのそれを動かすと韓国語中国語の嵐で、もううんざりする。昔はそうでもなかったが、時期が時期だしなあ。いまとなると、原辰徳
  かくして北海道はアジアではない。アジアだとすれば、それは満洲である。もうシベリアなのである。どんより曇った空が不快である。・・・え?我輩は曇天愛好家なのではあるが。でも何となく不快である。我輩が東南おおアジアに引かれる理由はかくして明々白々なのであるなあ。
  まずは禁を破って。次回は12月1日である。

  庭の菊。茶色の方が珍しいと思う。

  あ、焼きそば。ここはこれがいいと思う。ラーメンよりも少しいい。

  ここの焼きそばである。

  その前がこれ。バブルで崩壊したが、ここが一番の夜のバーやレストランなどの集まったところだった。いまや駐車場となり、見る影もない。我輩は高校時代から先生に連れられて、行っていたのである。フィズとか飲みながら。あー、かかかかかかくも悲しき。