panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

途上国というもの





  途上国は大半が欧米の植民地だった。そしてその首都は欧米人のスタイルによってつくられる。したがって日本のようなムラが大きくなった形の地方都市とは違って、相当に都会的である。
  この点が実際に行くまでわからなかった。遅れた国だからもっと辺境なイメージで行くと、まったく違うわけである。ただ、植民地支配から解放されて時間が経過しているために、補修その他の都市計画がないこともあり、老朽化し汚らしく崩壊寸前の感もある。でも、つくりの都会性(どう定義していいかよくわからないが)は日本以上なのである。そうでないのは、我輩がみた限りは、ラオスビエンチャンくらいだった。フランスはラオスをお荷物だと思っていたと思う。資源も人も少ないからである。
  しかも日本が鎖国していた時代から貿易等で国際化していた伝統があるので、人も田舎者ではない。植民地に組みこまれる以前から、東南おおアジア人は多文化のなかでもまれてきたのである。ムラ的で社交性が欠如しているという点では、日本人のほうが明らかに田舎者であったといえる。麵を啜(すす)る文化も、ある意味グローバルスタンダードを完全に欠如させた文化であり、まさに鎖国のなかで育まれたスタイルなのだろう(我輩はもう麵をすする日本人が一杯いる繁盛したラーメン屋に行くのが嫌である。あれはやはり下品ではなかろうか)。
  だからもう少し時代が下れば、国際場裡において活躍するのが、日本人よりは東南おおアジア人である、ということになるかもしれない。
  以上は、実際に行ってみて昔から感じた印象である。東京生まれの最近の若人日本人は日本が東京だと思っているので、日本の都市がいかにムラの拡大でしかないかの観念がない。だから気づかないようだが、辺境北国からいまのタイのように、バスだの、鉄道だの、あろうことか連絡船だのでようやくやってきた経験をもつ我輩としては、行ってみた東南おおアジア途上国はとても都会的だったのである。長いこと、面食らっていたのである。ふふふ。実は。
  まずはそんなことで、後発発展途上国ミャンマーの人々の写真をいくつか。
  ベトナムの発展ぶりをみて、もうミャンマーしか行くところがないのかとも思うが、それにしてもヤンゴンは整備すればとても快適な都会になるだろうなあ。