panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

浮世、世間、ムラ、イエ、共同体、社会


  今日も職場。連続である。明日は来ないので今日昼に来た。
  理想的な社会あるいは社会関係のあり方はアナキズムの考えがもっとも正しいように思える、ということを最近になって考えているのだが、結局、まともな日本人なら万葉集の頃から心底うんざりしているのにそこから離脱できないある種の非常にうまく機能する、そのゆえに一層人の意気地をくじくところの浮世だの世間だのイエ、ムラ、共同体だのに共通する要素は、団結力、団体形成力、団体性である。
  今なら社会というものが大半のまともな日本人にとって鬱陶しいのは、そのあまりの効率のよい団体力にあるのだ。中国と比べるとこの点が鮮明だが、中国はまだましで、東南おおアジアだのアフリカだの南米だのもう社会そのものが全面的に成立しているとはいいがたい地域のほうが圧倒的に世界には多いので、どこに出て行っても日本人は成功してしまうということになり、その原動力が人々が一丸となって頑張るという、どうしようもない行動様式そのものにあり、それは何百年もの間、村社会で維持してきたイエ(商家もイエだから都市でも同様なのだが)を単位にする日本人の生活のありようからきているのだろう。いわゆるイエ・ムラ理論である。
  かくして結局、ニートが集まって各人がそれぞれ社長だかなんだかの資格でつくる団体のようなものにいたるまで(最近報道されていたが詳細はフォローしなかった)、どうしようもなく、切ないばかりに日本人は団結してしまい、それがすべての不幸の原因だということを強く思うわけなのである。・・・ある意味ニートは日本社会の正しいネガなのであるから、正しいまま一人生きる術を見つけることは、やはり難しいのか。
  しかし我輩自身の現在かつ将来の問題はもっと別にある。次の地震では我輩の職場のこの一室は完全に本の墓場、兼、我輩の墓場となるだろうという緊急の問題なのである。うーん。床から天井まで隙間なく本が積んであるのである。もうこうなると、ゴミ屋敷であなあ。