panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

できれば明日か明後日にはミャンマー編を終えたい---今回は少し高級な?写真

  1500枚の写真から軽い画質のものを何とか探してアップしていると、結構、時間を食う。もう5時を過ぎ、今日の残った時間で我輩は、ポッパ山でミャンマー夫人と衝突した際、ぶん曲がってしまったカルヴァン・クラインを直しにいく予定である。
  やはりクラインの壺的な縁のなさなのか、あるいは、777段の階段をのぼる我輩がほどほどの老化とほどほどの心労とそしてほどほどの鬱でよろけたせいか、大切なサングラス、皆さんがいうところのグラサンの柄が外側に変形してしまったのである(レンズさえとれた)。
  衝突現場は急な階段であって、バガンの遺跡でも夕日をみる有名な寺院をのぼりきれず、とうてい許されざる高所恐怖症であることが再三再四露呈した次第である。あー、こわ。下がってくるミャンマー夫人は剛の者だったし、、、(いいわけ)。
  したがってミャンマー後半戦では杖のない盲人のような歩行であり、ウンコをよく踏むばかりか、目から疲労の根が広がった。くり返すように、東南おおアジアにおいては、裸足は敏捷だが、裸眼は盲目である。これが3年ぶりにみつかって、粉砕された幸薄いグラサン。

  では本編。ヤンゴンといえばストランドホテル。一番南を走る東西の通りがその名をとってストランド通り。まさにロンドンではないか。ロンドンのストランド通りは有名な新聞街である(だよね?ロンドンのことはもう大半忘れた)。そのど真ん中にたつストランドホテルで絵はがきを北海道関係に数枚書いて、少しさきの中央郵便局で切手をはって出した。



  ここではダゴンビールを飲んだのか。おつまみはヤンゴンでもバガンでもピーナツ。これがちっちゃい粒で、この世でもっとも嫌いな果実なのにすいすい口にはいる。ピーナツ認識の革命が生じたのであった。ちなみにストランドホテルのバーでダゴンビールは3ドル。ややややや安い。でも、たたたたたたた高い。という感じ。普通のところからみると2倍以上ですからね。
   出たところはこう。そして郵便局。少し戻ると税関。なお、よっぽどストランドホテルに泊まることも考えたが、研究には不釣り合いだし、一人だと高くつく。二人分だとバカみたいに安いともいえる金額なのであるが。郵便局で一枚切手を舐めて貼ったが、バイ菌のことを同時に思いだして、具合悪くなった。その後、糊を出してくれたっけ。あっちもわかってるんでありますね。



  ストランドホテルは植民地時代貴人がとまる代表的ホテルだが、現在、ダウンタウンで高層の高級ホテルといえば、さくらタワーと並んでいるトレイダーズホテル(ペナンにもある。シャングリラ本舗?の全アジア的チェーンの有名ホテル)。ここでは夕方疲労をいやすべく、一階のほうのメインダイニングまで押し入って、お珈琲をいだだきました。おまけのビスケットもいただきましたが、黒い。ブラックビスケットの名曲を口ずさむ筆者であった(うっちゃんなんちゃんね)。夜のトレイダーズホテルとアイス。


  実はバガンから戻った我輩は最初のホテルから移って、トレイダーズホテルの横のホテルに投宿したのである。だからこの辺はよく歩き、レストランに通った。国鉄駅も近く、発券所(まるでそうはみえないが。すでにアップしてある)へ歩くのも簡単だったから。というか、結構発券所の発見が難しく、あぶなく通りすぎるところだった。恐怖の大屋台みたいな、牢獄みたいなつくりなもんで。
  高いといえば、初期のころはお金があまっていた。ベッドで広げてそのまま外出し、外出の途中あわてて戻るということもあったっけ。ふふふ。完全な人間というのはいないものだね。もほほ。わはははははははははははははははははっふ。

  では最後に、この親には一番高いものを。大事というより金がかかるもんで、、、。ってひどぐね?ま、東南おおアジアでは、子供に金はかけないと思うが。この点ではアングロサクソンと似ている。