panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

何から書いていいやら、、、----我輩を衛生的だと思う人はいないと思うのだが。


  夕食を終え、老体に鞭打って、何か書こうとするのだが、何から書いていいかわからない。編年体的に書くのがいいのだが、膨大なものになりそうで、躊躇してしまう。
  結局、夕食の席では、家人1,2の話題は今日の「あまちゃん」、明日の「あまちゃん」であり、我輩のミャンマーではない。その場で適当に興にのって話した内容を書くかともくろんでいたのだが、うーん。
  その前に、関係者にメールを出したり、コメントに返事したり(ありがとう、やまうちくん)という仕事はいまはこのブログでご勘弁。なにせやはり疲れているのである。徐々にやるとしてさしあたりブログで近況をご理解願いたいが、そのブログもどうやって書けばいいのか、こまってしまう。
  写真の横を縦に直しながら、時系列で再確認してみると、もう思ったことや感じたことが手に終えないほどある。しゃべるなら簡単だが、書く手間がなあ。
  でも一つだけあげると、やはり衛生観念という問題には正直、鋭敏になった。この写真のように路上を居間として低い位置で(ベトナム的な高さより低いかもしれない)、ものをつくりものを食べるというコージーな店がたくさんある。串もの肉などのミャンマー風おでんなど、町中にあって、できれば食べてみたいのだが、当然無理である。とてもじゃないが、無理なのである。
  我輩はこうみえて結構、衛生面には神経質なのであって、病院食すら食べられない。入院するたびに院内中のスキャンダルとなって、最後は健気(けなげ)な栄養士のお嬢さんまで動員されて、我輩の説得にあたるというのが、通例である。なんで我輩だけが?他の人もそうだろうと思って、同年代者の廊下に出された食器をみていると、これが完食だから、嫌になる。どうしてあんな状態で食えるのか、まったくのところ理解できない。あの風のそよとも吹かない密室でどうやって匂いの鼻につく日本食が食えるのか。
  ミャンマーはその反対で、あの風塵舞い上がる車地獄の路上でどうして食事できるのか。あー、どっちもどっちで、やはり食べられない。一度、チャイナタウンで、紹介されたミャンマー人の方と3人で食事したときなど、串の肉の生臭いかけらのぬめっとついた器を見ただけで、実は卒倒しそうになった。ま、卒倒は大袈裟だが、体中の血が凍るかと思い、いかに吐かないでいるかを耐える数時間だったのだ。申し訳ないが。しかしそこは社会人(なんだよ、我輩も)、いかにもうまそうに食べて見せた。喉の神経と脳の神経をマヒさせながら。でも瞬間的にウッともどしそうになって、泣きそうになった。だからミャンマーでは、我輩には(ありがたいことに?)食事すら艱難辛苦なのである。東南おおアジア!!!!!!!!!!
  ミャンマー料理全体がそもそも我輩には大変貧乏な漁師の食い物にしか思えず、数のたくさん出てくる一見豪華な伝統料理もバガンミャンマー人案内人などとためしたが、そのどれもがくどい匂いは自分が「ウルルン滞在記」には絶対出演できないということをガツンと示してくれたばかりか、このときも顔で笑って心で泣いてという社交の精神を発揮して、やはり倒れそうになった。
(うまく撮れていないがそれがこれ)
  うーんうーんうーん。南国のビールは天上的だったが、食事は耐えられなかった。まだ、タイ料理に分があるかと思ったのだが、もう後半は麺類だけを食べるという方向にシフトしていたわけで。・・・ひさしぶりに苦手な料理だということがわかった。

  これはガイドブックで有名な、少数民族シャン族の麺類レストランで飲んだミャンマービール。これが一番旨いといわれているが、ダゴンビールもマンダレービールも旨かった。一つの理由は、ミャンマー人給仕のビールの注ぎ方が丁寧だからである。むろん、我輩の注ぎ方が世界の模範であることはいうまでもない。だからコップさえ冷えていれば(よく冷えたものがきたのである、ミャンマーでは!)、大変旨いビールが飲めた。
  しかし、である。旨いビールが飲めるだけでミャンマーは天国だといえるのでは。日本でずっとそういうビールが飲めなかったわけだから。料理なんてある意味どうでもいいさ。・・・でも毎日何本も飲んでいると、最後はもういいという気持ちになった。ふふふ、贅沢じゃね。ただ、この写真の注ぎ方は失敗作。事実、旨くなかったのを覚えている。

バガンの高級リゾートホテルで初めてマンダレービールをためした。環境もよかったが、むしろ一番旨かった)