panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

写真の使用に関する規則----今回はヤンゴンをさくらタワーから撮った。


  覚えている人も忘れているだろうが、我輩は2台のカメラを携行し、一つの画質をブログ用に落として使っている。本格的な画素でとると一カ月分の容量をすぐ超過するからである。
  しかし暑いアジアで右のポケットにいれたカメラがどっちだったかはすぐ忘れる。取り出したカメラでとることが多く、その結果、いいものでも画素の関係でアップできないことがある。今週末からはベトナムも始まり、ベトナムにはPCをもっていくつもりなので、そのことへの配慮もあって、、、。画素数が大きいとアップするのに相当時間がかかり、フリーズしてるのかと思うころにアップが完了する。面倒なのである。画素数を変えることもやはり面倒で、手塩にかけたブログならまだしも、我輩のブログはただの記録だし思考の道具にすぎないから、そんな時間はさけない。ということで、この程度で勘弁願いたい。
  上の写真は一般的にヤンゴンをとるときのもので、一番高いさくらタワーからヤンゴン川をみている。下の写真はボージョーアウンサン市場側を眺めている。真ん中の右側の赤い建物が市場。手前の高いビルはパークソン。これからホーチミン行く人はわかると思うが、パークソンはベトナムのデパートではなかったか。中にはいると人はいない。高価だが品揃えがさびしい。市場のむこうの教会もみえるだろう。この東西の通り(ボージョーアウンサン通り)が一番の目抜き通りの一つ(東西には5本の幹線が走っている。その一つ)。
  ちなみにさくらタワーは日系のビルだと思うが、トレイダーズホテルと道一本はさんで建っており、ヤンゴンのビルのシンボル的存在なのだろう。その真ん中の道を南に行くとスーレーパヤー、北に行った方向に傑作シュエダゴンパヤーがある。これにくらべると、バンコクの例の寺院は顔色を失う。観光化もまだまだなので、この現代世界のなかでいぜん荘厳さを失わない建造物であって、入った瞬間、言葉を失う。昼と夜、行ってみた。大都会の仏教寺院でこれほどの宗教性を感じさせるものはほかにあるのだろうか。しかも派手だ。ただしあとでアップの予定。

  椎名誠の本をちらちら読み直している。あっちでは読めなかった。というか昔読んですっかり忘れたので再読を狙ったが、かなわなかった。ミャンマー行ってから読むと、10年前の本だが、かなり面白い。

  ヤンゴン川のあっちはこうなっている。日光が激しすぎて、写真がハレーションを起こしているようだ。それほど強烈で乾燥していた。埃舞うフェリー広場ではもう一歩も進めない状態だった。

  大変貧しそうで、バゴーと同じ地方都市の状態を彷彿とさせる。下がバゴー。

  列車からみた風景からも相当の貧民たちが暮らしていることがわかる。軍政の責任というより、我輩は一貫して欧米の経済制裁が最大の理由だと考えている。軍政だとすぐ目くじらたてるアメリカという国こそ、完全な軍事国家なのではないか。映画でも政府よりのハリウッド映画ばかりつくられる。社会全体が軍政仕様になっているので、軍政仕様の根本が逆に見えにくくなっているのではないかと感じる。近代国家は大体が軍事国家である。国家そのものが軍隊モデルなのだから。それを、アジアで軍人が政権を握ると鬼の首をとったように騒ぎだす。ほんとに不愉快な国家である。ってアメリカ怒ってどうする?

  いずれにしてもヤンゴンと地方との落差はかなり大きいと感じた。場合によってはインドよりひどい貧困だという人もいる。そしてヤンゴンでも北は高級住宅が山のようにあり(昔のイギリス人街)、南のダウンタウン(ここでの写真はいずれもダウンタウンであるが)と大きな対照をなしている。・・・他人の国にきてよくもここまで自分勝手なことができるものであるなあ。でも、、、これが近代国家の世界標準だからね。征服国家、軍事国家、階級国家。支配するものとされるものの根本的異質性と対立。支配されるものがのり、我輩ものってしまった普通車両の写真をもう一度。