panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

遁世という形式---外こもりについて

  バンコクカオサン通りを筆頭に、東南アジア各地にやってきては、日がな一日、とくに何かやるということもなく、食う寝る住むという最小限の生活をしている人のことを≪外こもり≫ということは、ご承知かと思う。引きこもりが日本国内というか家屋の一室内に閉じこもる人々だとすると、外は外国の意味である。
  外国の多くはアジアであり、インドを除けば、しばしば東南アジアとくにインドシナ半島の国々である。物価の安さを逆手にとって、豊かな日本で期間工のような仕事をしては、たまった貯金をもってやってきて安宿に限界まで泊まり、金がつきれば帰って、同じことを繰返すといった風に捉えられている。なかには勉強を放棄した大学生もいるだろう。しかしアルバイトでやってくるのは同じである。
  彼らは、学生運動の昔ならドロップアウトとかいわれていたタイプの一変種であるが、生産的行動(体制崩壊=革命のような破壊的行動もこれに含めて)の有無を理由に、かつてのドロップアウト世代は新しいドロップアウト世代に対して共感するということはまずない。この構図は、6,70年代の学生運動家の大学生にその親の世代が示した反応とほぼ同じだと言え、かつての反逆学生たちも加齢化し、同じような親としての世代になったと解釈すべきものなのだろうか。「沈没」という言葉を外こもっている(?)若者---コモラーという---自身使っているのであってみれば、浮上したり、世に出ることを結果的には求めたその親の世代の功利的立ち居振る舞いへの「否」という積極的レジスタンスとしての側面ははっきりあるのだが(つまりなにもしないことがアクティヴな社会的なインプリケーションをもつともいえないわけではないのだが)。
  いずれにしても、外こもりに対しては、いろいろな見方がありうる。私が一番驚いたのは、下川裕治の『日本を降りる若者たち』という本だった。彼はタイなど東南アジアや中国の旅というか、ほっつき歩きに関しては第一人者であって、彼自身の経歴が最初の外こもりの例ともいえるのだが(下川も自覚している)、そのため責任を感じてもいるのか、外こもりをどう見るかに関しては、極端に揺れている。つまりはっきりしないのである。いろんな外こもりがいて、知れば知るほど、単純な断定はできないということかもしれないが、きわめて歯切れが悪い。全体としては外こもりに否定的な印象を与えるが、あとがきではむしろ清濁合わせ飲んで肯定しているような色調になっており、私は実に困惑している(下川は多くの本を読んだから好きなのである)。
  外こもりの問題は、要は、日本社会が現在どういう社会であるのか、これをどう考えるかという問題である。外こもりの個々の事例というかコモラーたちは、それは多種多様なはずである。そこから一般化していくとなると、大規模な調査のようなものが必要になってくるし、その結果も、何となく面白みのない、瑣末なものになるんじゃないかという感じ(?)もある。あくまで感じで申し訳ないが。それにそうでない可能性もある。でも調査主義はたんなる無能の口実のように思われて、有能をモットーとする我輩の姿勢とは相容れない。、、、って誰のこと?
  私の立場はといえば、皿井タレーの『バンコク外こもり!』である。つまり、伝統的に日本社会の基底にあった隠遁の新しい一形式だというものである。外こもりは、経済だけみれば圧倒的に豊かな日本社会における人生航路の、もうひとつの路線、豊かな社会版の隠遁である(現に他方で、退職者世代もタイやマレーシアで年金生活に多数入っている。彼らも皿井的にはコモラーである)(ただしいわゆる豊かな社会は決して豊かではない。説明は長くなるからここではしない)。
  皿井が隠遁の新形式だと述べているわけではないが、外こもるためのタイとくにバンコクでの実践的な生活術について具体的に細々指南しており、社会復帰の準備などにも触れているところからみて、彼がはっきりと日本社会の現状との関連で外こもりを捉えていることは明白である。その点で下川はコモラーに実は同情的すぎるのである。皿井の斜に構えた姿勢が、つまり日本からの、彼自身のより明確な隠遁意識が彼をして、コモラーすることではなく、せざるを得ないこと(背景)に対しての正確な理解を生んでいると思われる。
  私は今日、日本社会が参加とか、社会貢献とか、外部への発信とかを言い募り過ぎていると思う。どの時代にも時代と反りがあわない人間はいる。あなたがあっていても、子供があわないなんてことはよくあるだろう。人はいつも他者と付き合っていたいわけではない。だから社会から一時的であれ、身を引いてもそれに社会的認知が与えられる仕組みが実質的に必要ではないかと思う。そしてそういう仕組みは文明社会にはどこでもずっとあったはずである。ところが現代では、そうした仕組みの一つでもありえた大学からが、「one for all, all for one」だとか、「do for others」だとか、選挙活動のように絶叫している。その前で万歳三唱している大学教授もいるかもしれない。大学は行動するところではなく、一人でまずはものを考えてみたい、そういう人間が好んで集まるところである(のはずである)。なんで考えることの嫌いな大多数の人々にいつも顔を見せている必要があるのか。ってことはいっちゃいけないか。ともあれ大学は一例である。
  タイには一時的に仏門に入るという伝統的仕組みがいまも残っている。日本では想像もつかないことである。日本の坊主は代々の家業を守るために出家するのであるから(!)、≪出家≫はたんなる独占的な世俗的事業の一環である。それを出家と云っている段階で、もう取り返しのつかない過ちを犯している日本仏教がいまさら何をか云わんである。
  出家以外にも≪隠遁≫だの、≪遁世≫だの、≪漂泊≫だのといった、社会の外に生きる形式をもっていた我々の社会はどこにいってしまったのか。象牙の塔が安っぽいコンクリ製だということは周知の事実である。としてもそのあばら家が、デカルトにとってのアムステルダムである以上、あばら家にいる弱きものたちを必要以上に外にかりだすことは、いかがなものか。同様に、そうした遁世の形式がどんどん衰えたときに、東南アジアが新しいが古くからある避難の一つの場=形式として浮かび上がってくるということは、ある意味必然であったとしか云いようがない。
  亜熱帯の大気の下で漫然とたゆたうのは、実に気持ちがいい。知らず知らずのうちに、そこに新たな精神の均衡が生まれていることに気づくべきなのだ、と私は思う。

  コンクリ製象牙の塔の内部の一例。