panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

私小説なのかエセーなのか-----もう一つの東南アジア?


  内田洋子のイタリアものがなぜかいっぱい家にあって、最新のこれをよむ。寝ながらぼんやり読んでいる。まるで下川裕治先生の東南アジアもののように、イタリアが体に入ってくる。ヨーロッパの東南アジアなのか、イタリア。
  文章もとてもいいように思うが、なによりこれほどうまくイタリア社会に溶け込めているのかと驚く。その点で、かなり衝撃的である。昔の学者や小説家の御先生方が表面をかすめて、それに哲学的歴史的ふりかけをして提供するヨーロッパ滞在記とは雲泥の差である。
  東南アジアの人間とはちがって、そこはそれ、先進社会の住人たち。人に接する仕方が---内田のパーソナリティもあるだろうが---かなり柔軟で開放的で、大人である。そうでないカラブリア州出身の露天商の話からエセー(?)は始まるのだが、それにしても滋味豊かな人々が織りなす文明社会のありように美しい日本の私は驚く。
  要するに田舎的なのだが。その文明のありようは。つまり文明化の果てに田舎の素朴さをもう一度取り戻すという風にイタリアの今日は機能しているということであろうか。留保つきでそう考えておこう。
  ちなみに山のように彼女の本はある。下川先生のほうもたくさん本はある。