panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ときにまぎれて忘れる下川裕治先生をときに思い出すこと


  今日は仕事日であったから疲労している。書く余裕もないが、フランソワのシューマンとバッハを聴きながら、朝妙に早く起きたので決心して読んだこの本について触れておく。
  週末シリーズなのかそういうタイトルものが下川先生によって最近次々リリースされている。彼の、ますます老体化し、同学年とは思えぬ衰退ぶりはまさに数年後の我輩であろうか。これで東南アジアの貧乏旅行は厳しい。一人、ぬくぬくと自室にこもり、下川先生が立派に本望を遂げられることを祈念する我輩なのであった。
  それにしても下川本はどれも大同小異ともいえるが、ある種の規範的な古典芸能でもあって、なぜか読むハードルが高い。だから何冊もツンドク状態にあるのだが、今朝のような早起きのタイミングをみて写真から入り、どこの地でも下川的なデジャブー体験を共有する我輩のしり込みを振り払うことになる。ドンハー付近の夕暮れの写真は、「人生を忘れそうになる」(下川)。そういう際においてようやく本文にたどりつけるのであるが、なぜ?素直に読めないのはなぜなのか。
  東南アジアの記憶が大切すぎて、もてあまし気味ということなのだろうか。・・・それにしても今回はベトナム珈琲の話から始まる。ビールもいいが、珈琲も東南アジアの華である。