panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

結局、タマサートの私ということで、、、

 ヴィザ発給は、残念ながら、PDFの招聘状では不十分であった。金曜日朝方知ってパニくったが、届くはずの(?)本物の招聘状と交換で、受付は受理された。私の人間的魅力であろうか。はたまた、タマサート大学の威力であろうか。タマサートはタイ2番目の古い国立大学(1934年創設)。復旦同様、屈指の名門である。私はタマサートより若い。よってタマサートの伝統の力がやや優ったと考える方が穏当であろう。もとより推測だが、、、。
 タイ王国大使館は東京の目黒にある。古い洋館をそのまま使っているようだが、私が経験した日本の在外公館ではありえないような微笑ましい触れ合いがあるのを目撃した。日本の外務省はほぼ存在価値がない。先刻ご承知の通り。しかも日本人(いわゆる民間人)に冷たい。何故かは不明である。大使館なんて、二重にいらないものなのである。最小限度の施設でこせこせがっちり仕事していさえすればいいのである。かつて私は2週間マドリッドで足止めをくらったことがあるが、そのとき私は日本政府の交換留学生として外地にいたのである。よって扱いがややよく、領事が対応することになっていたが、いつまでたっても用務員のような人しか対応に出てきてくれない。そして、例によって、人を見る力では人後に落ちる私であってみれば、最後になって、その人が領事だということに気づいた次第。でも成果はなく、無意味な会見であった。
 それはそれとして、目黒のタイ・ヴィザ関係の部署で待っていると、どうもさえないが金はありそうな日本人と結婚したタイの女性が赤ちゃんを連れて入ってきた。と、手の空いている職員ほぼ全員が赤ちゃんにさわったり、あやしに来るのであった。その職員たちとは階層の違った感じのタイの母親も堂々と赤ちゃんを披露していた。なお赤ちゃんは梅雨のさなか厚着だった。かくしてタイ人はタイ人になっていくのか。ともあれ、タイの民間人に対しタイの大使館員たちは実に愛想がよかった。まさに微笑みオンパレードで、人間が人間に直に接しているという強い印象を持った。日本人社会のなかでタイの人たちを見ていると、いってみれば銀座で東北や北海道の人々を見るような感じを抱かれる方もあるだろう。しかしやはりタイのあの社交性は圧倒的に文明的である。社交は文明の華である。引っ込み思案な私がいうのだから、間違いない。東京にいるタイの人々のほうが、少なくともバンコクでみる多くの日本人旅行者よりも、人間間の関係において、人を人として遇する高度な文明的な型を習得していることは、明らかではないか(他方でタイは日本の比ではない強固な階層社会である)。
 あ、そうすると、私が引っ込み思案ってことは、文明からの逸脱を宣言するに等しいのか。うーーーん、まずい。いうまでもなく、そうなるはずであろう。が、同時に、引っ込み思案は別の形の文明的精華でもある。引っ込み思案は一個の文明的決断でもあるからだ。「平明・静謐・孤高」は長谷川りん次郎展の惹句だが、引っ込み思案はこれらとある意味共通の根をもつ。むしろ伝統的な日本において引っ込み思案は、文明的な人間のとる一つの選択可能な処世の一形態だったのだから。、、、って我輩が?私はしかし単なる野生の引っ込み思案である。本人の自発的供述だから冤罪ではありえない。