panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

民衆史の色川大吉氏、老衰で亡くなる

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   少し前に報道されたが、民衆史の代表者だった色川大吉が亡くなった。96歳。若いころは飄々としていた。我輩はある意味、国家史側の人間であり民衆史には興味はないが(国家史の側であって国家の側ではない)、新旧の写真を掲げておいた。かつては陽気で社交的な学者の写真と老いてなおの写真と。こうした関心は明らかにこちらの老化のためである。

  3枚目はマージャン小説その他の色川武大(たけひろ)である。名前が似ていたため生前はよく混同されていた。賭マージャンと民衆史では天と地のようであるが。でも軽い賭マージャンやギャンブルは民衆のものか。

  武大が福島で亡くなったときは相当の年に思われたが、60歳であった。戦後の修羅場を生き抜いた、うちの母親と同い年の人間にとって歳月は厳しいものであったということか。それとも徹夜マージャンって、やっぱ体に悪いね、ということか。

 

不覚をとる

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(城たい牧場から函館山を一望する)

  3日になっていた。1日から9月はちょうどよいくらいの気温になり、今日は寒いくらいでしかも雨。じめじめしながら気分もその通りであったが、ふとブログのことを思い出した。1日には書くという原則はこうしてコロナ下でどんどん形骸化していくのであった。

  さて長い北海道滞在を終え、戻ってきたのであるが、また再来週には介護認定のため戻ることになっている。函館は快晴で温暖らしいが、一体日本の気候はどうなっているのだろうか。

  今さっき菅が次期総裁選には出ないことが報道された。慶賀に存じる次第。民主党政権の総理大臣が低劣の極みで、それら以下の首相というのはちょっと想像しがたいと思っていたら、いた、いた、菅が、というほぼ一年の歳月だった。武田勝頼のような家臣の反乱によって、退陣が決まったようで、四面楚歌だった。そもそも死に体の内閣改造で役職を受ける議員がいると思っていたのだろうか。奇策だったが(総選挙の前に内閣改造)、あえなく沈没である。

  こうなったら岸田がまた低劣陣営の更新にならないよう祈るばかりである。

オリンピック、今夜終わる

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(サムソンとデリラ。我が輩愛好のヴィクター・マチュアと実はハリウッドスターながらオーストリー生まれのユダヤヘディ・ラマール)

 

  ようやく今日でオリンピックが終わる。ようやくと書いても安堵ではない。なんかやはり祭の終わりという感じを受ける。

  金メダルは27個。我輩の予想は23個で、この予想でしこたま銭をもうけた(賭博というほどではないが、日々現金をもたない我輩には貴重な収入源だった)。

  イギリスのメダル数がずっと日本より多いのが驚愕である。種目にはどうも階級差があって、中流上流のスポーツがイギリス君の強みなのではないか。階級差は、柔道などの階級別とは違う。そうではなく、まさにやる人間の社会的階級を反映したスポーツの上下関係である。ヨットとか乗馬とかフェンシングとか。こういう貴族的な背景をもつスポーツがどうもイギリス君の強みのようである。ちきしょう。

  ど根性スポーツの巣窟である日本では、したがって、イギリスの勝ったスポーツの映像は少なくともライブではほとんど流れないため、イギリスのメダル数をみて驚くことになるのである。ど根性ものでも人間の力の限界をためす式の荘厳なスポーツ、競歩とかトライアスロンとかにはイギリス君をはじめ、フランス君、オランダ君、ドイツ君などが意欲的である。おまけに、今度発見したのは、イタリア君である。イタリア君はずいぶんスポーツに力を入れているというか、強い。現に400メートルリレー男子はイタリア君の勝利だった。これはかなりイタリア君を見くびっていたので、やはり驚いた。

  いまトイレにはイタリア関係本が置いてあって、イタリア君の酷薄さというか、誰も信用しない(家族以外は)のしたたかな文化(これを非道徳的家族主義と呼ぶことは前にも書いていたろう)を学んでいたところであり、イタリア君の躍進にも興味をもった。

  とはいっても結構アフリカ系の人々がヨーロッパ各国では跋扈していた。その意味では黒人の馬力もヨーロッパの強国は借りているのである。しかし意外と白人主体に構成される陸上競技も多い。走り高跳びとか幅跳びとか、砲丸投げとか槍投げとか。この辺は東欧諸国のでっぷりしているか、とても長身かのスラブ系白人がかなり進出しているので、白人率が高くなる。また、スラブ系女性は美人の代名詞なので、新体操とかアーティスティック・スイミングとかで威力を発揮する。体操もそうだ。事実上、水泳が白人主体なのも、浮力が落ちるのか黒人?という長年の疑問を惹起させるのだが、そういうことよりも、やはりスポーツの階級制(階級差)というのがあるだろう。

  ということで、底辺スポーツの根性物語だけでない、もっと努力することで優雅さが増大するようなスポーツの振興を今後ははかっていただきたい。果たしてラクロスはオリンピック種目だったのだろうか。ゴルフすらど根性化するアジア人を押さえて、アメリカ人女性が勝ったことは、ま、残念だが、致し方ない。青木以来、日本のゴルファーは何か飯場の匂いがする。

  ということで、イギリスに勝って、大英帝国の残滓を徹底的に一掃し殲滅することを今後の目標にしていただきたい。元首相森オリンピック総統!

 

完全に忘れていた

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(誰かの写真を拝借しました。感謝です)

   すっかり忘れていたので、狼狽している。死んでいたわけではないが、そもそも死んでいて生き返るのはゾンビである。トンビではあってもゾンビではない我が輩は、しかし、このコロナ禍のもと、オリンピックを受動的に家庭内試聴する日課のなかで、すっかりまったく完璧に忘れてしまっていた。

  そうこうしているうち、我が輩の仕事も半期終了となり、今日からその評価の仕事になるのだが、それで久しぶりにパナチョの日記に思い当たったのであった。うーん。こんなものでは?コロナの下の日常は。ぼんやりし注意力を欠き欠き(同じことだが。と書いてから欠き欠きと二重になっていることに気づくのだが、消す元気もなく)、しかも月変わりの日本の最も暑い時期でもあり(よく炎天下でスポーツなるものをやっているなあ)、やる気をなくして、またぼんやりを繰り返すのであった。

  ということで生存していることを示して、また日曜のオリンピックに戻りたい。

  そしていま気づく。今日って1日だったのか。

1000人を超える東京


www.youtube.com

  今日から連休ということになっているが、高等教育現場では今日は仕事日ということになっている。朝、若人がコロナにかかっているかのごとき連絡がきたので、あわててラインで聞いてみると、事態は全然コロナではなく、当局の紛らわしい文面でそう思ってしまったようである。うーん。こんな文章で連絡してくるな。アホなのか。日本中アホなのか。アホ足らんとする国内あげての陰謀というか、顕謀といったほうがよいか、それがあるのだろうか。・・・菅君が指令を「発出」したのかもしれないが、暗黙というか顕黙のメッセージが出ているのか。

  ということで。ヴィヴァ君のオペラ、ポントゥスの女王アルシルダは18000円をこえる。CDだと。だからもっていない。ナイーブ・レーベルでもないから、きっと大したことはないと思っているわけで、演奏が。だからもっていない数少ない彼のオペラなのだが、これで聴ける。東欧の演奏である。たまに旧共産圏発のヴィヴァ君オペラがあるのである。

  傑作ではないが、ヘンデルなんかだと欲求不満に陥る視聴がやはりここではそういうことはない。ヴィヴァ君は出来が違う。

明日から緊急3回目

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  明日から第3回目。忘れないため記しておくと、第1回目は4月7日から5月25日まで、第2回目が1月8日から3月21日まで。合計122日。

  言葉遣いの問題からいえば、第二回目以降は非常事態ではないか。この緊急という言葉にひっかかる。緊急が1年をこえて3度もあるという表現の混乱のほうが、もっと深刻のようにすら感じられる。非常事態といってほしい。

  ということでまた全面的にリモートに戻ってしまった。先日数回対面の仕事をしたら、今週はずっと体調が悪かった。ドアを開けるのを忘れて1時間半、話していたからかもしれない。迂闊だった。うかつ。うがつは穿つ。

  ブルブル体を揺らす器具を買って一回10分の単位で体を細らせようと頑張るも、当然、うまくいかず、またまた非情なる非常事態に直面して、ますます身も心も細る思いの日々なのであった。

北の国からこんにちは

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  重点措置というか蔓延防止が今夜から東京に施行されるようである。がっかりというより、遅いというべきかもしれない。無為無策の政府・自治体には今更何もいうことはない。昨日も一年ぶりの公開の席にいくためN95マスクを使用して出かけた。それでも密な状態はいかんともしがたく、今日はそもそも、外出の予定をやめた。

  田中邦衛が亡くなり、最後の方は認知症だったと思われるが、88歳は今どきの基準ではまだ若い。5歳年下の父方のオジがよく似た感じで、ということは83歳か。道央あたりに一時住んでいたから、五郎の弟くらい、六郎といってもいいだろう。いいとは思えないが、いってみた。

  つまり、田中邦衛は岐阜の出身だったが、いかにも北海道らしかった。第一にどこか貧しい。富良野のなかでも貧しいという設定だが、あの時代にああいう人間はかなりの少数派だった。東京で失敗して故郷に戻るという設定(だったと思うが)も、悲しいものがある。通常出稼ぎで戻る場合には、負傷するとかもう死んでいるとかが多い。北海道では。

  五郎は出稼ぎではなかったが、まあ、似たようなものか。よく死んだという情報が飛び交っていたなあ、辺境北海道では。東京の地下鉄を夜作っているのは出稼ぎである。そういうところで事故は頻繁に起こる。トラック運転手も事故でよく死ぬ。疲労で不注意になるからである。金回りのいい成功者はしばしば破産して自殺する。我輩のかなり仲のよかった小中のチビの同級生はそうやって八王子で死んだ。のっぽの母親にはとうとう知らせなかった。認知症気味だったから、わからないまま死んでいった。

 というわけで、田中邦衛が亡くなり、九州の結婚式に出て、北の国からこんにちは!といってスベったことを思い出した。片側の親族が相手側の家柄の不透明さに反対して出席していない式だった。ま、そんなこともあるかと当時は思い、重大だとは思わなかったが、いまから考えると、ゾッとするなあ。そういう意味では、部落出身者の天国である北海道という、日本のアメリカ西部は、貧しいとはいえ、まだ救われているところなのであった。・・・でも北海道出身力士がいまは3人しかないという北海道はすでにかつての北海道、北の国ではないというべきなんだろう。

  

 

また1日を忘れてしまっていた

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  新年度が始まってしまい、コロナ激化と相まって、関東ではもっともよい季節がいつも以上に慌ただしくなっているせいか、1日に書くという習慣を完全に失ったかもしれない。

  医療システムの改善もワクチン輸入の拡大も進まず、治療薬の開発もない。ビルマに対する毅然とした態度もなければ、専制国家への明確な意思表明もない。そういうないない尽くしの新年度。まことに慶賀に存じまする。

コロナ解除をハッセで祝う


Enea in Caonia, Pt. 1: Sinfonia

  10年前の東北震災のときは民主党菅首相だった。今回のコロナは自民党全般的低能内閣の菅首相である。これらの難事にトップがいずれもこうであったこと?に国民的哀しみを覚えつつ、解除の日を迎えた。しかし全体的に、どの時代も、日本のトップリーダーシップは低空飛行者であったことを思い返すと、人というよりシステムの問題、あるいはシステム運用の問題に決定的な欠陥があったということなのかもしれない。ギリシアの例のように、民主主義というのはこうした頽廃がかなり短期的にやってくるという危うい制度的仕組みなのである。ともあれ・・・こうやって一国が落ちぶれていく過程でオリンピックまであるというのは、もう吉本喜劇である。

  前回はヴィンチだったが、今回はハッセ。カノニアのエネア、って誰? 二つとも大した傑作ではないが、網羅する意志の下、コレクションの対象なのである。

  さてまた帰郷することになり、せっかく桜の満開近くなった首都圏を離れることになる。しばらく帰ってくることはない。北海道はまだたまに零下である。それを思うと、いまから心が冷え込むのであった。

完全に忘れていた


Vinci: Gismondo, re di Polonia, opera in three acts | Martyna Pastuszka

   1日に書くという習慣を完全に忘れていた。いかんせん、カクカクいう膝もそうだが、心身ともに急激にコロナ惨禍に陥った感じである。今年初めまではなんということもなかったが、自粛も一年。その予期せぬ結果ということなのだろう。

  ということであるが、このYouTubeがヴィンチの最新のCDと同じものかどうかは分からないが、また新たなオペラが発売された。でもこうして聴けてしまうところにCD業界の苦しみを感じる。

  ともあれ5月の陽気の関東圏だが、来週また北帰行するのでまたこちらの冬に逆戻りである。そう思うと、苦しいこと夥しいが、ま、致し方あるまい。