panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

アニー・ジラルドを思い出す


RAYMOND LEFEVRE - 愛のために死す -


Annie Girardot - Morir d'amore

  今日も今日とて自粛生活に疲れて、ふとブログのことを思い出し、同時になぜか昔のフランスの女優を思い出した。

  アニー・ジラルドーだとばかり思っていたが、延ばさないのか。果たして思い違いなのか、それともいまそのようにふと思ったのか。それはそれとして、ジラルドはなぜ美人でもないのに主演女優なのかという思いを無意識下におしとどめて、高校生の我輩は当時ぞくぞくとやってきていたフランス映画を映画館で、当然ながら、見ていたときのスターの1人である。

  亡くなったのは知っていたが、こういうのがあるのは知らなかった。もし我輩がバックに音楽をつけるとしたら、ベルモンドと共演した映画、うーん、タイトルが出てこないが、フランシス・レイの音楽を使うのかもしれないが(あの愛をふたたび、か、タイトルは)、この「愛のために死す」(映画のタイトル)があちらでは有名なのかもしれない。

  この映画は見ていないのだが、レイモン・ルフェーブル楽団のよくやる音楽だった。アニー・ジラルド主演とは知らなかった。あの愛をふたたびはかなり気に入った映画だったので、函館には愛のために死すは来なかったのかもしれない。来たかもしれないが、男優のことを知らないので見に行かなかったのだろうか。

  いまとなってはすべては深い闇の向こうの記憶である。

  いずれにしてもフランス映画が自分の中で輝いていた時代があったということを思い出し、かつ、それに驚く今日である。

アール・ブリュットの土曜の午後

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  今日は秋らしい穏やかな土曜である。その午後、やることがあるのをほっといて、BBCの『ニュートリクス』を続けざまに見る。プライムビデオ。

  他方、ジャン・デュビュッフェの「生の芸術」別名、アウトサイダーアートの図像を眺める。

  

10月は秋の始まり

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  1日である。秋である。しかし写真は8月の函館郊外のでも函館。

  相変わらずコロナ生活をしていると、すべてが終わったような終末観にとらわれる。現実が廃墟となっていく感じで、渋澤龍彦が愛好するような世界がすぐそこにきそうな幻惑に満たされる。うーん、ぼんくらな頭になっているのだろうか。

季節は秋になった

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  函館から帰ってきたら、昨夜は嫌に暑かった。でも今日は適当というか、首都圏も秋だ。北海道は布団に毛布が必要だったから、もう秋だったが、わずかな期間で関東に達したわけである。ようやくあの、誰もが不幸なニーマルニーマルとして思い出す、オリンピックはなかったが、コロナはあったくそ暑い夏が終わった。慶賀に存じまする。

  北海道に帰っていると、ほとんどこっちのことは忘れてしまう。帰ってきて思い出して少しうんざりする。うんざりというよりは、あらゆる意味での東京的狭さとか都会的不快さとか潤いのかけらもない日常とかに、ややたじろぐ。

  コロナでやっている引退後の予行演習では人と会わないことがストレスでもあり、かつ、喜びでもある。函館では美術や映画やその他いまやCD本体はそっちにあるので、そういう文化生活に慣れて帰ってくると、ますますストレスは強まり、そして喜びも実は減る。なんという逆効果であろうか。ますますそう思うこの頃なのである。

  今回とくに強く感じたこととして、ものがうまい。スーパーで買ったタコのゆでたのを一口食べて、思わず旨いと声が上がったことに我ながら驚いた。関東でスーパーで買うタコはタコかいなという状態であるのが普通で、形ばかりタコの刺身みたいなのを食べたという感じだが、北海道のミズダコ(大型蛸)は衝撃的なまでにうまい。

  タコのゆで方というのは非常に職人的な技が必要だということを東京のスーパーの連中は知るまい。昔は、函館でなく、鹿部という近郊の漁村のある業者のゆで方が一部では確実に絶賛されていた。そこで茹でたタコをもらったときには、そこのタコだと、今もいる愚母が言ったものであった。今回、そのことを久しぶりに思い出した。

  ゼラチンが残る皮と身の間の部分がきちんとあり、しかも塩分が抜群の濃度であり、かつ湯で時間が絶妙だった。かくして、旨いという言葉がひとりでに出てきた。関東では茹では固すぎ、ゼラチンのうまみはなく、塩分は限りなく極端なことが多い。改めて、こんなレベルをスーパーの200円もしない値段で提供している函館の食生活のよろこびを伝えなければと伝道師のように切迫して思ったわけなのである。

守屋浩、本間千代子、富田勲、西澤潤一

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  守屋浩が81歳で亡くなったというので本間千代子と結婚していたはずと思い、チェックするともうとっくに離婚していた。本間千代子は舟木一夫らが全盛のころのマドンナ役だった女優である。

  本間千代子の項にはシンセサイザー冨田勲の名がある。義兄ということなので、不思議に思ってみると、本間の姉がその妻だった。そして富田は半導体ノーベル賞候補だった東北大学学長西澤潤一のまたいとこだった。うーん。

  なんてことはないが、昔の人間だけが知っている人々でしかないが、どれも有名人だった。西澤が誰かに似ているのだが、いまは思い出せない。そして本間千代子という同姓同名の知人がいたはずだが、それも思い出せない。こうして人は何も思い出せずに死んでいくのだろうか。あ、その知人は本間千代子なはずである。うーん、何とも言えない嫌な気持ちである。

  それとも本間という名前だけが一緒だったろうか。さらに困惑が増す午後である。

  なお、明日からまた北海道に戻る。台風のやつが羽田を急襲しないよう祈る。

 

  

タイの騒乱---2010年の再来?

panacho.hatenablog.com

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タイ・バンコクのサナーム・ルアン広場に設置された銘板(2020年9月20日撮影)。

  今回はあるラインからタイのタマサート大学などで学生中心の反政府活動が広がっていることを知ったが、王政改革が1つの焦点となっている点で、我輩が半年行っていた2010年とは違う。タクシン、反タクシンの2つの陣営の政争だった前回とは違い、そもそも不敬罪で保護された王政への憤りが浮上しているからである。

  ユーラシア大陸では専制の揺り戻しがいま生じており、韓国(近代国家というにはあまりにお粗末な)、北朝鮮、中国、東南アジアのミャンマー(実質的な軍部優位)、カンボジア(王政)、中央アジアの独裁諸国家、ロシア、ウクライナベラルーシ、いうまでもなく中東の破綻国家やサウジの独裁など、ほぼ大陸全体が専制か独裁体制だということを銘記すべきである。

  タイもそのなかの1つで緩やかな政治文化を反映して、捕まるならタイのほうがいいが、その他の軍事国家と同様、軍部支配が2014年から続いている。

  南米、中米もしかりだし、ちょっと油断すると、日本人がいまする海外旅行の大半はそういう危険な国になってしまう可能性が高い。

  ともあれこの写真のメダルのようなものは、国は国民のものということを書いているようである。5兆円の資産を持つ王室と軍事力をもつ軍部エリートが観光で食っているタイ。香港のような状態にならないことを祈りたい。・・・・とはいえ、我輩はもうタイには興味はあまりないのだが。

  

indolent life

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   菅が昨日首相になった。一応書きつけておこう。ちょっと親族が何となく我々に関係していないわけでもないのだが、横浜が基盤だからなあ。我々というのも曖昧だが、ま、適当に推測していただきたい。そういえば、伊藤蘭一家とも何となく関係しているのだが。相棒ではない。それはドラマの名前である。

  さて、バンド(群れ)で暮らしていたわれわれの祖先の生活はインドレントだという人類学者の指摘を受けて、この言葉についてさぐってみると、いろいろな訳語が出てくる。一番ぴったりなのは、ぶらぶらしている、という意味か。惰弱(だじゃく)、怠惰、遊惰など思いつく限りの勤勉日本人がもっとも嫌う言葉がさらに続く。

  不活性とか無痛というのもある。しまいには緩慢進行性というのも、専門分野によっては成立している。いまの人々についてインドレントを使えば、要は、不精な暮らしというものか。無精者はインドレント・マンということになるのか。英語では。

  ということで、狩猟採集民はブラタモリしていたということで、その英訳はインドレントという言葉を使うのだぞという教育的メッセージでした。

  

残り一週間

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  我輩たちの短い休暇も後残すところ一週間ほどになった。ようやく雑務から解放されたと思ったら、残りは少ない。毎年そうだが、今年はさらにいろいろあった。というかコロナが最大の問題だったが、気候変動の被害をもろにかぶった北海道でもあった。

  こうして貴重な日々が失われてゆくのだが、そもそも日本は気候のいい国というのは過去の話で、いいお日和は年間で何日もない。そういう事実を踏まえて生きるしかない。

すっかり忘れていた

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  帰ってきてずいぶんたつが、ブログのことはすっかりわすれていた。もうそんな存在になっていたのか、マイ・ブログ。

  実は夏休みといえども、我々の商売にもすっかり勤勉魂というか勤勉強制(検便ではない)が植え付けられ、大半の関係者はヒーコラヒーコラバヒンバヒンとうめき声をあげながら、この夏もいろいろの業務を遂行しているのである。

  かくいう我輩も函館で鈍いWi-Fiにもかかわらず、いろいろやってはみていたのである。しかし何と言っても、暑く、かつそれなりに激しく多忙でもあったため、帰京後、いろいろの雑務に忙殺されていたのである。

  さて、この写真は山中の一軒で、噴火湾と函館を結ぶ山の幹線の中間くらいにあり、他に人家はほぼない。昔からあったが、綺麗になっているようだが、牛はもういないだろう。というか牛舎だと長いこと思っていたが(この建物の反対側、つまり写真を撮っている側に、人家が二軒はある。今回車から降りてチェックしたが、一軒にはまだ人が住んでいるように思った)。

  でも外見は同じだから、きわめて懐かしい。バスで通りかかるたびにこんな山中の一軒家でどんな生活をしているんだろうと思ってきた。冬は雪もかなり積もる。いまでは道は大変よくなったが、そのころは、その寂しい侘びしい生活を思うと子供心に、胸が痛くなるのであった。

  でもこんな暮らしぶりを見てきたからか、これもありだと思っているのであって、それが我輩の強みにもなっているだろう。孤独な生活を嫌だと思えないのである。ただ、このコロナで気晴らしがない日々のほうが、たまらなく苦しい。

  ということで、まだ形だけの夏休み中なのであった。なおその向かいの人家はこれ。

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